プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 湘南ベルマーレコーチ石川桂①
Jun 15, 2020サッカーコーチになるには? どういう経路があるんだろう?
プロサッカー選手としての経験がなくてもプロサッカーコーチになれる!
実際にそれを実現した方にフォーカスして対談していくシリーズ第2段!
湘南ベルマーレ石川桂さんです。
石川桂氏 トップチームコーチ就任のお知らせ
この度、湘南ベルマーレのトップチームコーチに石川桂氏の就任が決まりましたのでお知らせいたします。 【プロフィール】 ◆氏名 石川 桂(イシカワ ケイ) ◆生年月日 1988年3月18日(31歳) ◆選
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●今回の対談の主旨
倉本:じゃあ聞いていきましょうかね。
石川:はい。
倉本:改めましてですが、今回の対談というか目的がプロサッカー選手の経験がなかったのにJクラブで働いてるか、働いたことがある人っていう人と対談をして、どういう経緯でそうなっていったのかっていうのを、実体験を話をしてもらうことによって、今例えば若いコーチとか、あと大学生でこれから指導者やりたいよみたいな人たちに、こうやったらJリーグのクラブに入れるっていうのはないじゃない?
石川:そうですね。
倉本:ないんだけど、こうやって入った人がいるよっていう例をたくさん出すと、それが一つ参考になるのかなと思って、この今の時期だからこそ、みんな逆にすごい将来不安になっちゃったんで、もう。
それこそとくに自分は選手としても実績がなくて、大学もそこそこで、そんなに有名ではなくてってなったときに、指導者でもやりたいってなったときに、何かちょっと絶望しちゃうっていうか、もうこれ無理なんじゃない?みたいに、そういう相談を結構受けることがあって、若いコーチから。
だったら、実際になった人たちの話をたくさん聞いて、それで参考にしてもらえたら嬉しいなと思って、そんな感じで、ああそうだと思って、桂がいるなと思って、今日は桂に協力をしていただいてます。ありがとうございます。
石川:いえいえ。
●自己紹介
倉本:ありがとうございます。じゃあ、どこからいこうかな。桂の経歴はこれまたすげえ面白いから、いろいろそこを掘り下げていきたいんだけど、じゃあその前に、ベルマーレに入る前は一般の仕事してたんだよね。
石川:そうです。ベルマーレに入る前は一般の企業にいて勤めてました。2年半ちょいぐらいですね。3年近く。大学卒業して、普通に就職活動して、一般の企業に入りました。
倉本:そのとき、大学卒業して、スポーツの道とかサッカーの道に行かずに一般企業に就職したのはどうして?
石川:一度サッカーから離れたい、離れた方がいいかな。ほかの世界っていうのをちゃんと自分の経験として積み上げていきたいなと。その上で、そのままビジネスの社会で自分がやっていきたいと思えばやっていけばいいし、どこかのタイミングで、もしかしたらサッカーの世界に戻りたいって思うかもしれないけど、思ってしまったらそのときにまた行動しようと思ってたんですけど、自分自身は幼稚園ぐらいからサッカー始めて、プロのサッカー選手になりたくて、中学、高校はスペインにサッカー留学をして、大学も日本に戻ってくるタイミングで、サッカー強い大学行きたいっていうことで、筑波大学を選んで入学をして、ずっとこう、サッカーを軸に自分の人生が進んで行って、それに対して全然後悔とかはなくて、すごい楽しかったし、学ぶこともあったし、すごいよかったなって思ってたんですけど、卒業するタイミングでプロサッカー選手になるの難しいってなったタイミングで、指導者、あと学校の先生、一般企業、大体この三つは選択肢の中にあって、サッカー軸で考えれば、体育の先生やりながら部活指導するっていう学校の先生っていう考え方もあったし、本当にサッカーのことを考えて指導の道に行く。
町クラブとか、Jクラブ入れればもちろんそれ一番いいと思いますけど、Jクラブ入るっていう選択肢あった中で、ちょっと一回離れたいな。サッカー以外の部分で自分を高めたいというか、勉強したいというか、結局やっぱり大学でももうサッカー、サッカーだったんで、勉強も当然卒業するレベルではやりましたけど、でも基本的にはサッカーを一生懸命部活でやりましたっていうような大学生活だったんで、一度離れたいなって思ったのが大きな理由。
倉本:なるほどね。客観視してたわけだね。自分のキャリアデザインっていうか。
石川:そうですね。サッカー界に一回行ったらサラリーマンなるのはなかなか、一般企業に入るのっていうのはなかなか難しいのかなと思ったんで。
倉本:うん。そうだね。確かに。
石川:一般企業入ってどうしてもサッカーの世界に行きたかったら、もしかしたら道があるかもしれないなと思って、もちろんそのタイミングで確信があったわけではないですけど。
倉本:なるほどね。いつぐらいに逆にやっぱサッカー戻りたいなって思ったの?
石川:3年目入ったぐらいから、戻りたいなっていうふうには思うようになって、やっぱりこう、社会人やってるときも、ずっと朝早く起きてチャンピオンズリーグ見たり、スペインリーグ見たり、なかなか仕事では発揮できないような意欲というか、熱みたいなものを持って、当然、ただサッカー見るだけですけど、楽しむために。そこの熱量がやっぱ自分の中では高かったです。なんかこれといって、じゃあ戻ろうっていうきっかけがあったわけじゃなくて、徐々にっていう感じですね。
●サッカーを始めたきっかけは?
倉本:なるほどね。いいですね。その話、もう一回あとで追々聞くとして、サッカー始めたのはいつ?きっかけは何かあったの?
石川:サッカー始めたのは4歳ですかね。
倉本:早っ。
石川:父親がサッカーやってて、父親がサッカー好きだったので、多分本当に2歳とか1歳のときからグラウンドでサッカーボール持って写真撮ってるような映像とか写真が残ってるぐらいなので、わりと身近にサッカーっていうものがあったので、自然にそのままの流れで地元のサッカーチームに入らないかっていうことで、入るっていう流れになって始めたって感じですね。
倉本:なるほど。あれ?横浜だっけ?
石川:横浜です。
●スペインに行ったのは中学生の時
倉本:そうだよね。それで、スペイン行ったのは小学6年生?それとも中学なるとき?
石川:中学入って半年してからです。中1の夏のタイミングで行ったんです。
倉本:それ元々のきっかけは?
石川:元々のきっかけは、もうシンプルに父がスペインにサッカー留学しないかみたいな話を自分、小学校、当時4年生の自分に…。
倉本:4年生のとき?
石川:多分4年生ですね。ちょうど日韓ワールドカップ、あ、違う。フランスワールドカップのときですね。日本が初めてワールドカップに出た年ぐらいですね。
倉本:へえ。お父さん、それどうやってスペインのこと調べたんだろうね。
石川:向こうに的地さんっていう、スペインに結構長く住まれてる方がバルセロナにいて、父の父親、僕にとっての祖父と親交が朝日新聞であって、僕のおじいちゃん、朝日新聞に元々勤めていて、的地さんって方も朝日新聞で元々働かれてた方なんで、そこのつながりでスペインに、スペインのサッカー状態というか、環境みたいのを紹介してもらいに行ったって感じですね。
父は、そのフランスのワールドカップのときにワールドカップ見に行って、多分行きなのか帰りにバルセロナ寄って、的地さんと会ってみたいなことをしてたみたいですね。僕は当時全然知らなかったですけど。そこで多分的地さんだったり、村松さんだったり、バルセロナでサッカー界に携わってる方を紹介してもらって、いろいろ伝手を使ってっていう感じですね。
●スペイン語はどうしてた?
倉本:なるほどね。そうか。来て最初のころって、スペイン語とかどうしてたの?
石川:いやもう全然何にもしゃべれないですね。僕、勉強も全然だったんで、ローマ字もちょっと怪しいっていう感じで、まずスペインついたらローマ字の勉強から始めました。最初は知り合いの方に居候させてもらってたんですけど、そこで居候させてもらってた方に教えてもらってました。ローマ字から全部。
●チームはどうやって見つけた?
倉本:へえ。なるほどね。どのぐらいで大丈夫、すぐチーム見つけたの?見つかったの?
石川:それこそ村松さんっていう方が、コルネアっていうチームで指導者をやられていて、その伝手でそのチームの入団試験というよりは、スペインって入団試験ってないじゃないですか。
倉本:ないね。練習ちょっと参加して…。
石川:普通に練習にポンって入れられて、しばらくやってみてどうかみたいな。で、そのままじゃあチームに入って練習させてもらって、最初受からなかったんです。最初受からなくて、要は日本で言うジュニアユース、中1のジュニアユースに入れなくて、スクールでやってくださいって言われて、3カ月ぐらいスクールでずっとやってて、でもスクールも毎週末試合があるんですよね、スペインって。
まあスペインなのか、その地域なのかっていうのは、ちょっと僕あれですけど、普通に1週間トレーニングして、リーグ戦があったんですよ。スクールでも。そこで3カ月頑張ってやってたら、ジュニアユースの方に上げるっていう話になって、そこからはもうずっとそのチームに日本帰国するまでいました。
倉本:そう考えたらすごいよね。コルネア、だって当時でもそもそも町クラブの中でも、バルセロナの中で一番、エスパニョール、バルサ、次にコルネアだったでしょ。あの時点でも。
石川:そうですね。だから僕いつもどういうチームって言われると、日本で行ったら養和みたいな感じって言ってます。東京で言ったら。
倉本:そうだね。そこからバルサ、エスパニョールに行くし。プロ出るし。
石川:チームメイト、ジョルディ・アルバとか。
A:同い年?
石川:1個下です。僕が高2のときにバルサからレンタルで来ました。高1で。
倉本:どうだった?どんな選手だった?
石川:いや、そんなにスーパーではなかったっていうのが正直なところで、でもめちゃくちゃうまくて、スピードとか派手なフェイントで相手かわすっていうよりは、なんかタイミングで相手に足出させてかわしていく。なんかジョルディからボール取れないな。なんかスルスルって抜けてくなっていうのと、あと点を取る。当時は…。
倉本:あれだよね。中盤だったよね。
石川:そうです。4231とかで結構僕のチームやること多くて、トップ下3の真ん中か、もしくは左。左利きだったんで。で、試合出てて、やっぱりなんか結局点取るなみたいな。リーグ戦で、大事な試合で、結構点取ってくれるなっていう印象はありましたけど、いやもうなんか、ちょっととまんねえなこいつみたいな、メッシとかなんかそういう印象では全然なかったですね。メッシとも試合したことありますけど、そういう印象ではなかったんですけど、ただ背が、僕がスペイン帰国してから、背が伸びたんですよね、彼は。
倉本:うんうん。めっちゃちっちゃかったもんね、だって。
石川:はい。本当、163~4しかなくて、だからバルサもユースチームで試合出せないから、高1のタイミングで。だからレンタル。日本にはなかなかこういう制度ないですけど、レンタルっていう形でうちのチームに来てっていうふうにされちゃったと思うんで、そのタイミングではバルサの同じ年代の選手の中で優先順位って多分低かったはずですけど、背がグッと伸びて、スピードがちょっとついたんですよね。足が速くなったらちょっと誰もとめらんねえなってなったっていう。あとはポジションのコンバート。
倉本:そうだね。バレンシア行って。
石川:バレンシア行って、があって、うまく、ウナイ・エメリが引き上げたんですよね。
倉本:マテゥと二人で左サイドやってた。
石川:ガンガン駆け上がる感じで、元々結構走れる方だったから、スピードがついたら体力もあるし走れてうまい。
倉本:うん。うまいもんね。インテリオールでプレーしてたのすごい記憶にある。バルサでちっちゃいころ、インファンティルとかかな。433のインテリオールでめちゃちっちゃくて、本当に多分140ちょいしかないぐらい、すごいちっちゃいけど、めっちゃうめーなっていう印象が。
石川:そうそう。あの、スペインでよくあるフットサルの大会なんでしたっけ。あのちっちゃい小学生ぐらいがやるやつ。なんだっけ。
倉本:7人制のやつじゃなくて?
石川:7人制かな。そうですね。毎年。あれも出てましたよね。
倉本:うん。出てた。
石川:そう。だからすごい有名人だったけど、背が伸びきんなくて、バルサはいらないって判断したんですよね。きっと当時は。
倉本:そうだね。最初はね。
石川:多分高1、高2、うちのチームでやって活躍して、こいつはすげえってなったけど、バルサは戻さなかったんですよね。高3のタイミングで。戻さなくて、バレンシアが横やり入れて来たというか。バルサいらないんだったら、じゃあうちもらうよって言って取ってって、なんかジョルディは当時から代理人がついてたから、代理人が動いて、バレンシアに行って、そこからはバレンシアのBチームで活躍して、トップチーム行って、トップチームで大活躍したらユーロ出て、ユーロで決勝点取って、もうあっという間に。
倉本:時の人になっちゃった。
石川:そうですね。
倉本:ワールドカップじゃない?最初。
石川:ワールドカップでしたっけ、あれ。
倉本:そうそう。ワールドカップでメンバー選ばれ…。
石川:チャビの…そうでしたっけ。
倉本:そうそう。確かワールドカップだよ。大ブレイクしたのワールドカップ。
石川:そっか。イタリア?イタリアと試合して点取ったのワールドカップ。あれユーロじゃないですか?
倉本:ユーロだっけ?そのあとのユーロじゃん?
石川:そっか。最初ワールドカップでしたっけ。
倉本:最初ワールドカップじゃない?
石川:そっか。いやでももう本当、当時まだ僕大学生で大学にいたんで、いやなんかもう、あっという間にそんなに世界が変わるんだなって、急にもうテレビの世界の人になったなっていう印象で感じたの覚えてます。
倉本:面白いね。じゃあその話につなげると、桂に会ったのが、もうめっちゃ今でも覚えてるけど、バルサ戦なんだよね。バルサ戦をカンプ・ノウの隣で、ミニ・エスタディの隣のあれだ。
石川:隣の、そうですね。
倉本:バルサが前練習してた。
石川:覚えてます。
倉本:あそこでバルサとやるよ。試合、コルネヤでやるよって言って、松井さんに教えてもらって、確か松井さんと一緒に見てたのかな。で、桂が出てて、そうそう。その試合が初めて。そのあとに来てくれたんだよね、家に。終わったあと。
石川:そうですね。終わったあと、ちょっと試合終わって話して、じゃあ行きますみたいな。
倉本:そうそう。それが初めて。そのとき、カデティAでしょ、確か。
石川:当時高校生ですよね。
倉本:15歳?16になるとき?カデティAって。U-16?
石川:じゃあ当時中3で会ってますね。そうですね。
倉本:そう。で、名前忘れたけど、ソンゴォの息子がいたじゃん。黒人の選手。
石川:いましたね。右の…。
倉本:そう。右のウィングやってて。
石川:3トップの右にいたんですよね。
倉本:そう。あの試合だってメッシがいて、セスクいて、ピケいたでしょ。
石川:そうです。メッシがセンターフォワードにいて、セスクがアンカーのとこにいて…。
倉本:セスクがアンカーで、そうそう。ピケがセンターバックやってるって、とんでもないメンバーだよね。
石川:ピケがセンターバック。もうちょっと取れる場所ないですよね。ボールを。
倉本:で、ソンゴォの息子と桂が対峙してて、桂が腰掴んでたんだよね、もう。それなのに引きずられてたのめっちゃ覚えてる(笑)。
石川:(笑)。
倉本:なにこれ?みたいな。そう、あのとき、あの当時のバルサ…。
石川:だからもう本当止まらないですもんね。ああいう、こう、馬力のある。
倉本:すげえあの試合のことを覚えてる。
石川:日本だったらイエローカードになっちゃいますけどね。
倉本:それで振り切られてたんだよね(笑)。
●メッシはどうだった?
石川:いや本当そうです。メッシも同じような感じですからね。もうちょっとファールしても同年代だと、本当足削りいけば止めれますけど、ちょっとユニフォーム引っ張ったり、腕抑えたぐらいだったらもう全然ファールでも行っちゃうなって感じの馬力がありましたね。
倉本:めちゃ速かったもんね。しかも。
石川:とりあえずなんかうまい。今はなんかすごいうまいなっていう、プロの世界に行ったら、うわ、このコントロールすげえなとか思うけど、当時はもうとりあえず速くて強くてって感じでしたよね。
倉本:そうそう。1人で点取っちゃうみたいなね。センターフォワードやってて。
石川:うん。もう3人引きずりながら全然関係ないみたいなプレースタイルな印象ですけど、でもきっとバルサの首脳陣というか、見てる人たちは、プラスうまさが際立ってるっていうのをわかってたんでしょうね。一緒にやってる側だとなんかセスクの方が全然うまいじゃんって思ってましたね。
倉本:うん。全く取られない。
●セスクの印象は?
石川:セスクはもう本当ボール取れないなっていう、寄せたら逃げられるし、何にもしなかったら良いパス出されちゃって、サイドチェンジもバンバン決めるし、ちょっとどうしようもないなって感じだったけど、その次の年にセスクはアーセナル行ったんですもんね。
倉本:そうそう。U-17の大会でMVP取って。
石川:そうですよね。世代、自分年下なのに出てMVP取ったんですよね。
倉本:そう。年下で出て。で、そのまま行っちゃったみたいな。
石川:はい。ピケもマンチェスター・ユナイテッド行きましたよね。
倉本:そう。マンU行ったね。
石川:だからそういう意味じゃ、バルサ、絶対に離したくなかったのメッシだけだったっていう。
倉本:極論でいうとそうだね。
石川:いや、セスクもピケも結局戻してるから。
倉本:そうそう。
石川:またセスクもピケもジョルディ・アルバも、みんな一回出してますもんね。そういう意味では。
倉本:うん。だからほかのとこでもまれて、もまれてレベル上がったら帰ってくるかみたいな。
石川:感じ。でも逆に言うとそれでいいって思ったってことですよね。
●バルサにとって絶対的な選手とは?
倉本:うん。それでいいと思ったんだろうね。例えばイニエスタみたいに、絶対これは離してはいけないとか。
石川:そうですよ。シャビ、イニエスタ、メッシ。このへんはだからオファー絶対あったはずだけど離さなかったんでしょうね。そういう部分で考えると、まあ正しいのかなっていう。
倉本:すごいよね。
石川:難しい判断だとは思うんですよね。やっぱり。メッシとか多分離しちゃってたらもう戻って来なかったじゃないですか、絶対。
倉本:そうだね。
石川:もう法外な移籍金かけられちゃって、ちょっと取り戻せないレベルだったと思いますけど、そこらへんはやっぱり長年積み上げてきた理論というか、考え方というか、もちろん選手見る目みたいなものも、指導者それぞれであると思いますけど、そういうところがしっかりしてるんだなという。
倉本:なんかスーパースターの育て方を知ってるっていうか、見つける目もそうだし、同じぐらいのレベルで言ってみたらそこまで大して活躍できなかった選手の方が圧倒的に多いじゃん。
石川:はい。
倉本:アカデミーのころもこいつなんなんだみたいな。フラン・メリダとかもそうだしね。ボージャンも然りかもしんないし。
石川:確かに。そうですね。
倉本:もうなんか異次元じゃんみたいな。アカデミーとか、ユースとかジュニアユース見たときって、なんだこいつはみたいな選手いっぱいいて、トップトップで今もやってますって本当少ないなって。
石川:確かに。
倉本:それだけ厳しい世界だっていうことなんだろうけど。
石川:うん。あとから追いついて追い越してく奴も結構いっぱいいますしね。やっぱり。育成のときになかなかそこまで有名じゃないとか、そこまで重宝されてないけど、今25歳になったらコンスタントに試合出てるし結果も出てるみたいな。いっぱいいますもんね。
倉本:うん。だってブスケッツだって出されてるしね、一回。
石川:ああ、そうですよね。
倉本:まあわからんもんだね。
石川:難しいですよね。だからそういう意味では。
倉本:うん。まあ答えはないっていう、まさに。
石川:まあまあ。
倉本:うん。そうか。だってメッシと対戦したことある日本人、そういないよ。今よく考えたらって思ったけど。
石川:そうですね。今はなかなか、でもスペインにいたら、全然同じ年代だったらいますよ、いっぱい。それでいったら僕、久保建英と試合しましたみたいな中高生、多分日本中にいますよ。今でも言ってるんじゃないですか。彼らは。
倉本:まあね。確かに。
石川:自慢になりますよね。
●久保建英選手の印象
倉本:(笑)。そうね。アルディージャでちょうど対戦したよ。帰ってきたばっかりのころ。ちょうど対戦して思いっきりやられた。
石川:でも建英もジョルディ・アルバと似てるイメージは僕あって。結局点取るみたいなところが。
倉本:うんうん。あるね。あるある。大事な場面で。
石川:うん。結局大事な場面で、決勝で点を取るとか、初めて出てきた試合でフリーキック決めちゃうとか、なんかそういう部分は近いものがあるなと思って、めちゃくちゃ足速いわけじゃないけど抜けるみたいな。
倉本:うんうん。
石川:建英って、僕もFC東京でトップチームやってたとき、一緒にやりましたけど、めちゃくちゃ足早いわけではやっぱないけど、ドリブル、ボールを持ったときのタッチとか、間合いの逃げ方というか、相手からうまくボールを隠しながら、スルスルッて相手見てドリブルで入ってくみたいなのすごいうまいし。ちょっとずつスピードがついてきて、ちょっとスピードがついたら、もう大活躍してあっという間にっていう感じだったなっていう。
倉本:なるほどね。そうだね。近くで見てたから、すごいね。桂。いろんなすごい選手を近くで見てたね。
石川:ああ。そうですね。すごいたまたまですけどね。そこはラッキーだったなと思いますね。中島翔哉も一緒にやってし。
倉本:そうだね。すごいな。
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