プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 柏レイソルU-18監督山中真②
Oct 02, 2020サッカーコーチになるには? どういう経路があるんだろう?
プロサッカー選手としての経験がなくてもプロサッカーコーチになれる!
実際にそれを実現した方にフォーカスして対談していくシリーズ第4段!
柏レイソルU-18監督 山中真さん後編です。
●大学進学を選んだ理由は?
倉本:いいな。面白いな。で、大学、トップに上がりたかったけどっていうところもあったけど、大学選んだ理由は?
山中:選んだ理由は、実は高校の担任の先生が薦めてくれたのがきっかけなんですよ。そもそも僕はほかの大学を受験しようとしていて、そんな中、担任の先生が、「ここ早稲田も受けれるぞ。受けれるんじゃないか。受けてみたら?」っていうふうに薦めてくれて、それまで全然頭になかったんですけど、それがきっかけで。
倉本:そうなんだね。
山中:はい。そうなんです。で、入学することができたんですよね。たまたま僕はスポーツ自己推薦、スポーツ科学部のいわゆるAO試験ですよね。自己推薦で受験してたんですけど、たまたま戦績とか経歴とか、そういう使えるものがいくつかあったのと、あとは小論文と面接で何とか入学することができて、そのまま合格できたんで、早稲田に進んだんですよね。
なので、サッカーでとかは全く情報もなかったし、ただ僕が入学受験する年に日本一になってたんですよね。その情報はありましたけど、どういう組織で、どんなサッカーしててとか、どんなスタッフがいてとか、そういう情報は全くなくて。
倉本:それで決めたの?
山中:そうなんですよ。本来受けようとしてた受験の時期と早稲田の行きます、行くか行かないか決めないといけない時期がもうそっちの方が前だったんですよ。だからどうしようって悩んだんですけど、早稲田に行こうって決めましたね。そこで。
倉本:なるほどね。面白いな。じゃあ指導者になろうって、ちなみ思ったっていうか、考えたのはいつ?
山中:もう高校で、そのタツさんと出会ってより思いましたね。もちろんプロ目指してましたけど、トップチームに上がるために、もう本当に一生懸命やってましたけど、プロで選手生活終えたあとは、指導者になりたいなっていうのは、もう高校生時代にはっきりと思うようになりました。自分もこんなサッカーしたいな。自分もいずれこんな指導がしたいなって。のは、高校3年生ですね。
●大学時代について
倉本:なるほど。で、大学時代は?
山中:大学自体は、変わらず夢中になってサッカーしてましたし、高校からプロになれなかったので、もう4年後、絶対プロになってやろうっていう、まず選手としての目標に向かって進んでましたけど、だけど大学でもある意味、サッカー観が固まっていったというか、ちょっと僕の好きな城じゃなかったんですよ、その早稲田っていうのが。
だからこういうサッカーしたいっていう、サッカーとはこういうものだっていう、頑固ですけど、よくないけど、そういう意見が、アイデアが固まった高校時代から、大学に進んで、そこでギャップを感じるんですよね。
サッカーってこうじゃないの?って。こんなんでうまくなれるのかって、言い方悪いですけど、もっと考えてやろうよとか、そういう壁にぶち当たって、だからそこでサッカーってこうあるべきでしょとか、自分だったらこういうふうに考えるとか、ある意味そこで磨かれた時間でもありましたね。だからその自分が好きな城じゃないけど、それを通して自分はこうしたいっていうものがより固まっていった。そんな4年間でした。
倉本:なるほどね。そうね。まあそれに良いとか悪いとかなくて、単純に好みの違いだったりするし、こうやって外出てみないとわかんない。違うものにぶつけるからやっぱりこっちがいいとか、こういうやり方がいいとか、サッカーっていろんな考え方あるよねって。まあ苦しいっていうか、そのときは本当にしんどいっていうか、なんでなのみたいになっちゃうとは思うんだけど。
山中:そうなんですよ。そういう考えになかなかなれなかったので、とくに最初の1~2年のころかな。なかなか受け入れることもできなかったんで、ただその中でもやっぱりプロになりたいとか、そこ目指すには試合に出ないといけないし、じゃあ試合に出るためには、その監督が望むものというか、監督の要求に応えないといけないし、存在価値を証明しないといけないし、それでグッとこらえてやってましたね。プロになるっていう原動力があったから。
だけど4年生になって、やっぱり最上級生になって、チームまとめないといけないし、僕みたいに思う人も入ってくるんですよね。なんかこう、「サッカーのアイデアってないんですか」とか、「僕はこう思います」っていう、なかなか今までやってきたものとの違いを受け入れられない人も、そういう後輩もいたので、なのでそういう後輩とうまくチームを作っていくためには、今みたいにいろんな考えがあるよとか、そう思うかもしれないけど、でもプレーしないといけないよっていう、プロになるためにはとか、試合に勝つためにはとか、そういうちょっと幅を持って考えられるようになったのは4年生ですね。
●ユースの選手に監督として同じような話はする?
倉本:なるほど。それって、例えば今ユースの監督やってるけど、そんな話したりします?ユースの選手に。トップに上がれない選手もいるから。
山中:しますね。いろんな考えあるよっていう話はしますね。この1年、ユースの選手でいえば、僕が見るのは、もう何年するかわからないけど、もしかしたらもう今シーズンで終わるかもしれない。来シーズンになったら違う人がコーチになるかもしれないし、大学行ったら全く違う環境でプレーすることになるしっていう、だからここが全てじゃないし、いろんな環境で、いろんな指導者のもとで、自分を証明し続けなきゃいけないっていう。だからいろんなことができた方がいいんだよっていうような話はしますね。
倉本:いいな。実体験だもんね。説得力すごいある。
山中:そうですね。実体験もだし、そうですね。やっぱり指導者になって、そういう考えを学んだっていうのもありますよね。いろんな人がいるっていう。正解は一つじゃないし、全部正解で、ただその中で好みがあるっていう。
倉本:いいね。いや、そう。なんか、本当そうだと思うし、スペインに自分が行ってたときに、エスパニョールの選手とかはよくその話をしてた。監督がすごい優秀な監督で、サッカー観も植え付けられて、ジュニアユース、ユースみたいに途中上がってって、途中でカテゴリー上がっていくと、監督がやっぱり変わったりするから、彼らもわかってるんだよね。
言ってみれば、この人の方がよかったなみたいなのあるんだけど、彼らが言ってたのは、今のボスが何を求めてるかっていうのが一番大事だって。なぜなら、さっき真も言った通りで、試合に出れないと自分の価値はない。だからこの監督が何を求めてるのかっていうことをちゃんと探って、それに自分の個性をアジャストしていくって、15~6歳の子が言ってたから、どんだけ大人なんだと(笑)。
山中:(笑)。本当ですね。
倉本:うん。そこでなんか自分のサッカー観ぶつけたりしないんだよね。
●サッカー観・コーチ観の違いについて
山中:ふーん。なるほどね。いやそうですよね。でもそれこそカズさんもあったんじゃないですか。スペインで長く勉強されてて、日本に帰って来てから、いや、サッカーとはこうあるべきだよとか、指導者とはこうあるべきだっていう。
倉本:はいはい。えっとね、まず、ビルバオでそれを実験したからすごいよかったと思う。バルセロナでまさにバルサが黄金期になってるとき、ライカールト監督でロナウジーニョがいて、これがサッカーだみたいな、一番衝撃受けたし、なんだこの、これが本物なんだなみたいに思って、いざビルバオに行って、まず見てるこれは、これ同じスポーツじゃねえぞと。
山中:(笑)。
倉本:(笑)。本当に。だって、例えばバルセロナの人も、当時「サッカーって何?」って言われたら、多分、ピンパーン、ピンパーンっていう表現をするけど、バスク人に聞いたら「これでしょ」って。「まずバトルでしょ」って言われて「えっ?」みたいな。
山中:(笑)。面白いですね。同じスペインでも。
倉本:うん。全然違う。その中で、あえてやってみたんだよね。ボール動かしたいっつって。で、自分がいたクラブが幸いにもわりと町クラブなのに結構強いクラブだったから、選手の質もまあまあ良くて、一番強いのは当然、アスレチック・ビルバオがナンバーワンで、断トツ強いんだけど、アスレチック・ビルバオに対して、アタックにいってゲーム支配しに行こうって、まじでやったの。
初年度めちゃくちゃうまくいったの。結果でいうと5位だったかな。5位で終わったんだけど、総得点の数がビルバオが1位で、2位がうちだった。その代わり失点が多くて5位になったんだけど、そのときにビルバオと試合やっても2-3とかだったんだよね。負けたけど2点取ったチームはうちしかなかった。
それがうまくいったから、翌年も同じことをやったわけよ。自分はそのままカテゴリーに残って、U-13、14かな。次の子たち…。
山中:新しい選手が来るんですね。
倉本:そう。新しい選手が来た。で、もう一回同じことやろうって、やったのが大失敗(笑)。
山中:(笑)。それはどういう失敗なんですか。結果が出なかった?
倉本:うん。まず、いろんな要因があるんだけど、一つ目はその前のアスレチック・ビルバオのそのカテゴリーの年代の子、あんまりよくなかった。だから勝負しにいったときにそこそこやれたんだけど、その下の代、上がってきた子たちはむちゃくちゃ良い代だった。めっちゃ強い代だった。
山中:良い、強いっていうのはフィジカル的にですか。
倉本:いや、もうフットボール的に質が高い。選手個人の質が高い。で、自分が今度は受け持って上がってきた子たちが、今度下がっちゃったんだよね。質が。そんなに。要するに去年かなり苦労しましたみたいな。ってなって、なのに僕はやりたいサッカーをぶつけようとした。要はやれる質もないのに自分がただやりたいからってやったら、まずアスレチック・ビルバオに9点ぶち込まれて、でも1点取ったんだけど、だけどもう最悪っていうか、終わった後、もう育成部長にブチ切れられて。「お前何考えてんだ、ゴラー」みたいな。
もうだって、唯一自分たちより明らかに格上だってはっきりしてるのは、もうビルバオしかないのに、何で何も策打たなかったんだって。で、もうそこから次の週明けて練習するじゃん。もう最悪だよ。選手たちも、何だよ、お前の言うこと聞いてても勝てねえじゃんみたいな空気出されて。
山中:へえ。そのカテゴリーでも?
倉本:うん。出される。で、最終的に次、もう一回ビルバオとやるときはもう超ハイパーカテナチオで戦ったんだけど、もう出んなって、ハーフェイから出なくていい。今日はサッカーじゃないって話をして、これはもうスペースしっかり埋めて、今日はサッカーじゃないと。今日は引き分け=俺らの勝ちだって。結局、セットプレーから2点取られて0-2だったんだけど、でも選手たちが「カズよくやったな」って言ってくれた。
山中:へえーっ。すごい。面白い。
倉本:0-3以上で負けるとやっぱり駄目っていうのをそこで本当に叩きこまれた。自分の志とかこういうサッカーやりたいっていうので出してもいいんだけど、0-3以上の負けはほんまに駄目だと。選手の信頼、完ぺき失うっていうのを身を持って体験した。それで。
山中:へえー。すごい。
倉本:だって、結果そのシーズン、途中でクビになったからね(笑)。
山中:(笑)。それを笑い話にできるのがいいですよね。またね。
倉本:いや、そりゃへこむけど、もうだって選手の信頼関係、一回壊れたら、そのシーズン中に取り戻すのは無理だなって思った。無理なんだなって。だからビルバオで0-2で負けて、その次がダービーマッチだったんだよね。同じグラウンドを使ってる、もうむちゃくちゃライバルクラブで、これだけには絶対負けちゃいけないみたいな。勝ったの。勝った試合直後にロッカールームに呼び出されて「お前はクビだ」と。一番良いときにやめろって、もう選手の信頼関係が壊れてる。もうポカーンみたいになるよ。
山中:それすごい経験ですね。日本じゃほぼできないですからね。日本の育成じゃ。
倉本:できない。そうそう。それがあったから、結構日本に帰ってくるときにその話に戻ると、新しい国にまた学びに行くんだなって思わないとキツイと思った。一応日本人だけど、日本で今まで学んだことを出そうじゃなくて、日本っていう国で新しいサッカー観を学ぶんだって思わなかったら、なんでこうなんだよってずっとイライラするだろうなって、ビルバオのときがそうだったから、そういう感じで帰ろうって思って帰って来た。
山中:へえ。面白い。
倉本:まあだからそこに対してのストレスはなかったから、逆に、しかもベルマーレで幸いにも新しいチーム持たせてもらったから、本当ゼロからサッカーってこう考えるんだよみたいなことを、もうずっと説いてて、ずっと一緒に上がっていくっていうのもまたあったから、そこの違和感は少なかったかな。
山中:へえ。でもその毎年選手が変わるっていうのも面白いところですよね。1年見たらその学年が、まあ持ちあがればまた同じ選手たち見れるけど、自分がそのカテゴリーに留まるんだったら、また違う選手が来て、今カズさん言ったように、全く違うグループってこともあり得るじゃないですか。だからそういう選手たちと向き合っていくっていうのも面白さの一つですよね。
倉本:そうだね。
山中:そうか。
倉本:なんか監督やるっていう経験はすごくやっぱりよかったね。その1年間を戦うっていう、リーグ戦を戦っていくって感じは、本当鍛えられた。
山中:そうですね。それは僕も本当にありがたい点ですよね。1年間、僕で言えばプレミアリーグを戦わせてもらえてるんで。
●柏レイソルのスクールコーチになったきっかけ
倉本:そうなんですよ。いいですね。はい。じゃあ真の話に戻ると、大学からレイソルのスクールコーチになったきっかけは?
山中:きっかけはこれも達磨さんなんですけど、実は僕、就職浪人っていうんですか。してるんですよ。4年で卒業して、そのあとすぐに社会人になるっていうのじゃなくて、4年生のとき、不完全燃焼だったんですよ。
やっぱりプロ、本当一番目指したから、サッカー選手になりたかったので、だけど4年生のときに思うようにプレーできなかったんですよ。そのまま選手諦めるのは嫌だなって、ここまで目指してきたのに。
だからもう1年、大学に籍残して、プロにチャレンジしようってチャレンジした1年だったんですよ。だけど結局、サッカーがほとんどできなくて、就職活動もしたんですよ。もうサッカー選手諦めて。もうサッカー無理だなって思ったんですよ。実はそこで。
倉本:怪我でできなかったってこと?
山中:そうなんですよ。4年生のころ、公式戦で多分1試合ぐらいしか出れてなくて。で、もう1年残ったんですけど、サッカー部には籍置けないですけど、置かなかったですけど、現実で言えば多分残せる、残せたとは思うんですけど、サッカー部も退部して辞めて、卒業して、個人的に練習参加とかできたらいいなって思ってたんですけど、なかなかうまくいかずに、僕の中でさっきのユースの話に戻りますけど、プロになって引退してから指導者になるっていう理想があるわけじゃないですか。
理想を描いていたので、だけどプロ選手になれない。じゃあもうその先も無理だなって僕は思ったんですよ。この人生はもう歩めない。だったらもう単純に僕は幸せになりたいと思ってたから、大人になったら。
幸せっていうのは、家族がいて、ある程度自分たちが不幸にならないぐらいのお金を稼いで、土日が休みで、奥さんがいて、子どもがいてっていう、そういう幸せな家庭を描いてもいたので、そしたらもう社会人になってサラリーマンやろうと思って就活もしたんですよ。
ただ年末に、たまたま達磨さんと連絡を取る機会があって、「お前サッカー続けないの?指導者やりたいって言ってなかった?」っていう話になって、そう思ってたけど、今の話して、「選手になれなかったし、だからもう僕は一般の企業に就いて働こうと思ってます」っていう話もしたんですけど、「でも本当やりたいんだったら力になってあげるよ」って言ってくれて。
最初はレイソルはちょっとこう、やっぱ枠もあるじゃないですか。人数バランスも難しいかもって言われてたんですけど、たまたまそのタイミングなのか、レイソルでやれるっていうことになって、達磨さんに入れてもらえたっていう。
倉本:なるほどね。すごいタイミングというか縁だね。
山中:いや、そうなんですよ。連絡取ったのがあれなんですよね、多分。内定の報告したんですよね。
倉本:ああー。
山中:「僕ここに決まりました」っていう。
倉本:へえー。ちなみに、どういう系の仕事だったの?
山中:僕はメーカーですね。食品メーカー。就活してたんですよ。
倉本:へえー。それ僅差でそっちに行ってたかもしれないと。
山中:そうなんですよ。内定式も出てたんですよ、実は。
倉本:うんうん。じゃあそれで「すいません」って言って。
山中:すいませんですよ。だけどその会社には本当感謝してて、その話をこの前しに行ったときに「ずっと目指してたって言ってたもんね。頑張りなよ」って快く送り出してくれたんで、だから本当感謝してますね。会社にとったら都合が悪いじゃないですか。もう入るって、来年から働くっていうのが決まってたのに、多分割り振りとかもしてたんじゃないですか。もう。配属先とかもね。そんな中で、やっぱ辞めてほかで働きますってなって、「えっ」ってなるところを快く送り出してくれたんで、本当に感謝してますね。そこは。
倉本:いいな。素敵な話ですね。
山中:(笑)。本当タイミングもあって、その達磨さんに声かけてもらえて、それでレイソルのアカデミーに入りましたね。
●ジュニアからユースの指導者になった時の心境
倉本:なるほど。で、ジュニアを例えば教えてて、そこから急にパーンってユースになったけど、とくに違和感とかはなかったですか。違和感っていうか、やりづらさっていうのかな。
山中:やりづらさはそんなになかったですね。最初はコーチだったんですよね。ユースAチームのコーチとしてが役割だったんで、ただ途中でその監督が布部さんだったんですけど、布部さんがトップチームに行かないといけない状況になって、監督がそのBチーム担当してた永井俊太さんになって、僕がBの監督になるっていう、数カ月でそのコーチの役割を終えて、Bチームの監督になるんですけど、そこまで小学生から高校生に一気に年代が上がったそのギャップに戸惑うことはなかったですね。
●プロ選手になった人で印象に残っているのは?
倉本:なるほど。じゃあ、今度は別の質問すると、今まで見て来た選手がたくさんプロになったり、そうじゃないっていろいろな選手を見てきたと思うんですけど、印象に残ってるっていうか、だからこの選手、プロになったなとか、印象に残ってる選手とかいたら。
山中:印象に残ってる選手は…誰だろうな。名前は出せないけど、いますね。ある育成年代の大切さというか、育成でどんな時間を過ごすかがこれだけ大事なんだなっていう考えさせられた選手はいて、それはセンターバックの選手ですけど、中学生のころは、僕が担当してたわけじゃないですけど、中学生のころはそこまで大きくもないし、スピードも早くないし、だけどちょっとボールタッチはうまくて、もう少し経ったら、数年経てばでかくなりそう。ちょっとこう気持ちもメンタル的にもたくましくなりそう。
そんな選手がいたんですけど、その選手を中学生のころ、ジュニアユースのころに担当してたコーチの人は、使い続けてたというか、投資し続けたんですよね、未来に。だからその結果、僕がいざユースでその子を受け持ったときに、すごく欠かせない存在になってたんですよ。たくましくなってるし、でかくなってるし、もうチーム中心になってたんですね。
だからその選手の例から、やっぱりそのどれだけ投資できるかっていう。どれだけその選手の未来のために寄り添っていけるかもそうですけど、試合の時間を投資できるかもそうですけど、それぐらい育成って先を見ることが大事なんだなっていうのを考えさせられる選手ですよね。もう一例ですよね。
倉本:そうだね。1年1年でもし見るっていう考え方だったら出てこなかったかもしれない。
山中:そうですね。だったと思うよって話もするんですよね。もうそのシーズンでとにかく結果出せとか、もう将来性とか全然いいから、勝てってなったら使わなかったと思うよって話もするんですけど、だけどその可能性を感じてたから、だから投資するっていう。
倉本:なるほどね。いいな。だから本当どれだけ、わかんないけど長期スパンで実際にそうなるかどうかもわからないけどかけてみようっていう。
山中:はい。そこもすごく面白いですね。僕は中学生担当したことはないですけど、でも中学生の年代、まさに一気に大きくなる選手が出てきたり、筋肉がついて、その瞬間はすごく助かる選手が出てきたりとかするじゃないですか。だけどいかに先を見るか。高校、ユース年代なのか、ユースより先なのか、もっと先なのかとか、指導者が先を見てあげるっていうのはすごく大事なことだなっていうのは考えさせられますね。
倉本:そうだね。
山中:あとプロ行った選手で言うと、自分で行動できるなっていう。自分で意思の持ってて自分で行動できるなっていうのは、すごく感じますね。僕らに言われてからやるんじゃなくて、そもそも自分の意思があるし、自分で考えて自分で決断していけるし、それはサッカーでもそうですし、ピッチ外でもそうですし、そういう選手はやっぱり人としても、社会に出ても活躍していけるなっていう印象はありますね。
倉本:そうだよね。そういう選手だったらサッカー辞めたあともって、結局自分で考えていけるしね。
山中:そうなんですよ。
倉本:いいな。サッカーが与える影響によって、そういう選手っていうか、そういう人が増えると逆にいいなって思うしね。
山中:そうですね。
倉本:なるほど。いやー、面白い話だな(笑)。
山中:(笑)。いえいえ。
倉本:ありがとうございます。
山中:はい。
●進路に悩む若い人へのアドバイス
倉本:じゃああと2つ質問をします。1個は、最初の冒頭にも話した、この対談の企画自体が若いコーチとか、今大学生で進路に悩んでる人へ向けてって感じなんですけど、その彼らにもしアドバイスがあるとしたら。どんなアドバイスしますか。
山中:僕がアドバイスできる立場じゃないですけど、なんだろう。人とのつながりですかね。人とのつながりを増やすこと。大切にすることですかね。実際やっぱりなかなか、例えばJクラブに、この対談のテーマで言うと、Jクラブに入るのって簡単なことじゃないと思うんですよね。
元選手だった人が引退後来たりとか、そのアカデミー出身の選手が僕みたいに戻ってきたりとか、そういうパターンがやっぱり多いとは思うんですけど、だけどやっぱ時代の変化と共にSNSでもそうだし、人とのつながりって簡単にできるようになったじゃないですか。
だから、こんな指導者がいるんだっていうのを、例えば雇う側ですよね。雇う側も知ることができるし、逆にその場に練習場に来て、その人と関係作っちゃえば、そういう人いるのねっていう発見にもなるし、だけどそもそもそういう人とのつながりがなければ、候補にも入ってこないし。
倉本:確かにね。
山中:だからそういう人とのつながりを増やしていったりとか、そのつながりを大切にするっていうのは、その瞬間、そのつながりが活きなくても、後々活きることもあると思うんですよね。僕で言えば、仮に僕が切られたとしたら、レイソルもクビだって、カズさんのスペイン時代みたいに、明日からもう来なくていいってなったとしたら、じゃあどこかで仕事を探さないといけないわけじゃないですか。生きていくために。じゃあ何を頼りにするかって言ったら、やっぱり人とのつながりなのかなって。
倉本:そうだね。
山中:だからそこは大事ですかね。足を運んだりとか、SNSで関係作ることもそうかもしれないですけど、何かそれがきっかけで、こいつ面白そうだなってなったら、それはラッキーだし、だけどその一歩踏み出せないと知られないまま終わってしまうっていう。どれだけ知識が豊富だったり指導力があったとしても、知られなければチャンスは訪れないと思うんで、なので人とのつながりを増やすこと。大切にすることは大事かなって。
倉本:大事だね。いや、大事大事。今ちょうど、思い出した。スペインにまだ自分が行ったころからだと思うけど、そのころから達磨さんと偶然出会って、帰ってくるたびにやっぱりレイソルの事務所に遊びに行ってたもんね。
山中:(笑)。そうなんですね。
倉本:本当すいませんだけど、なんかもう全くの部外者なのに、よく練習見に行ってたし、なんなら食堂で一緒にごはん食べさせてもらったりとかしてたし。
山中:(笑)。ピアノで。
倉本:はい。
山中:はい。でもそういうことなんですよね。僕も達磨さんと連絡取らなければここにいないし。
倉本:そうだね。
山中:そういう人とのつながりはすごく大事ですよね。
倉本:大事だと思います。
山中:補足になりますけど、仕切りがなくなると思うんですよ。今までレイソルで言えば引退した選手、レイソルアカデミー出身っていう、もうこの仕切りが多少あるじゃないですか。この仕切りがどんどん下がっていくのかなって。いろんなクラブ、下がってくクラブも多いんじゃないかなって。
倉本:なるほど。
山中:それぐらい、面白い考え持ってる人を見つけるし、Twitter上とかでも、そのSNSで、すごいなこの人たちって人、いっぱいいるし、そういう人たちはどんどんJの舞台とかにもフワーッて来るんじゃないかな。フワーッて来たら面白いなって個人的には思いますよね。
倉本:いや、確かに。ちょっとなんか変わっていきそうな感じだね、また。
山中:はい。アドバイスになってるかわからないですけど。僕は人とのつながり大事だなって思いますね。
●今後どんなコーチになりたい?
倉本:素晴らしいです。じゃあ最後の質問を。今後、どんなコーチになってたいですか。
山中:どんなコーチ。
倉本:どんなパパでもいいや(笑)。
山中:(笑)。それは恥ずかしいですね。優しいパパ。アイデア溢れるパパ。
倉本:いいね。
山中:はい。うーん。そうですね。まず、カテゴリーでいうと、トップのプロのカテゴリーは経験したいですね。今も育成のカテゴリーにいて、そこに魅力もとても感じていて、やりがいしかないですし、すごく面白いと思いますけど、またトップの世界になると、カテゴリーが変わると、目的も変わってくるじゃないですか。もうより勝利が大きくなるし。
だから異なる目的下というか、その環境の中で、自分がどれだけできるかっていうチャレンジをしたい思いもありますし、またこの今、育成年代にいて、一番の目的というか、トップに選手を上げることというか、プロ選手を作ることっていうのも、一つ大きな使命だと思うので、だけどその選手が描くトップのプロの世界を話を聞いたりイメージはできるけど、僕は踏み込んだことがないので、実際に、プロ経験してないですし、だからその世界に入って肌で感じてみたいなっていう。
そこで感じたものをいずれアカデミーに戻ったときに、育成年代に戻ったときに、何か自分の選手へのアプローチにつなげられるんじゃないかなっていう。プラスアルファを持って、また育成年代に戻っていけるんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよね。
倉本:なるほど。
山中:なので、カテゴリーで言ったら、そうですね。トップを経験したい。最終的にはまた育成に戻りたいっていうふうに思ってますね。で、どんな指導者になりたいか。やっぱりその常に選手には寄り添っていたいなっていうのは今も思っていますけど、より一人一人の人生を創造できるようになったりとか、少しでも選手がサッカーに熱中できる。そういう環境を作っていきたいなっていう思いはありますね。
倉本:素晴らしい。
山中:いやいや。やっぱその熱中しないとどれだけ正論言っても入っていかないので。選手が楽しいとか、いいなって目を向けてもらうためには、良い関係作ってサッカー熱中させて、レベルアップしていってほしいな。成長していってほしいなとは思いますね。
倉本:いいね。
山中:いえいえ。
倉本:なんか、本当に人を大切にしたいとか。
山中:したいですね。
倉本:するっていうの、すごい伝わってきました。
山中:いやいや。そう思いますし、でもそれがやっぱり大事だなっていうのは指導者になって本当に学ばせてもらってるので、周りのスタッフもそうですし、僕と関係を続けてくれているほかのクラブのスタッフもそうですし、友人もそうですし、それぐらい、人を大切にすることが大事だっていう、もう痛感できてるので、そこは本当にありがたいですよね。
倉本:小学校のときにバスの事件で怒られたことから(笑)。
山中:(笑)。いやいや、そうなんですよ。そこからですよ。
倉本:つながってる。
山中:そうなんですよ。つながってるんですよ。
倉本:すごい。いやもう面白すぎて、本当。
山中:いやいや。カズさんの話も面白かったですよ。
倉本:いやいや。ありがとうございます。
山中:いえいえ。
倉本:インタビューは以上で終わりになります。
山中:はい。わかりました。ありがとうございました。
倉本:ありがとうございます。
山中:ありがとうございます。
*************************************************