プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 柏レイソルU-18監督山中真①
Oct 02, 2020サッカーコーチになるには? どういう経路があるんだろう?
プロサッカー選手としての経験がなくてもプロサッカーコーチになれる!
実際にそれを実現した方にフォーカスして対談していくシリーズ第4段!
柏レイソルU-18監督 山中真さん前編です。
●今回の対談の企画について
倉本:では、改めまして、おはようございます。お願いします。
山中:おはようございます。よろしくお願いします。
倉本:山中さん、ありがとうございます。
山中:いえいえ、こちらこそ。
倉本:今回の主旨というか目的なんですけど、僕自身がJリーグのクラブで実際に働いてるコーチにインタビューというか対談をするんだけど、基本的条件が元プロ選手じゃなかったっていう。そういう人たち…Jリーグのクラブに入るにはこうやってやったらいいっていうのって基本的ないし。
山中:ないですね。
倉本:基本的に公募もしないじゃない。なかなか。一般公募。じゃあ今、大学生とか、今若いコーチでサッカーを生業にしていきたいみたいな人たちにとっては、どうやってじゃあJリーグのクラブに入るんだと、わからないっていうのがあって、今このコロナの影響で若い子たちがとくに先行き不安みたいにやっぱりちょっとなってるなと思って、そういう相談多くて、じゃあ実際に聞いて行こうと。いろんな人に聞いてみてどうだったかっていうのが参考になってもらえたら嬉しいなっていうのが主旨です。
山中:はい。わかんないですね(笑)。
倉本:大丈夫です。だから…。
山中:(笑)。はい。参考になれば。
倉本:うん。そう。生い立ちを聞いてて、単純にその人の人生って面白くて、今までももう4人とか5人とかコーチに聞くと、当たり前だけど誰一人と同じじゃない。当たり前だけど。
サッカーのエリートで来た人もいるし、全然サッカー、自分も含めてだけど、選手としては全然駄目だったけど、いろんな縁で気付いたらプロクラブで働けてたとか、何かその中でも共通点とかやっぱりそうだなって今探ってるんだけど。なんていうのかな。やり続ける信念とか。
ちょっとある一定時期、この人頭おかしいんじゃないかなみたいなぐらい行動してるとか、なんかあるかなと思って今探ってるんだけど、というわけで、早速ですが、簡単に自己紹介等お願いします。
●自己紹介
山中:今は柏レイソルのU-18で監督をしています、山中真と申します。よろしくお願いします。僕は経歴からいくと、小学4年生のころに柏レイソルのアカデミーに入って、そこからユースまで合計9年間、活動しました。そこで一番のベストはトップチームに上がることだったんですけど、そこで上がることができずに大学進学することになって、早稲田大学に進みました。
卒業後は縁があってレイソルのアカデミーに今度はスタッフとして戻ることになりまして、スクールコーチを2年間やったあとに、ジュニアチーム、U-11、小学5年生を1年間見て、そこからユースですね。U-18のカテゴリーにコーチ、あとU-18の監督で、2018年からU-18の監督になりました。なので、今年でU-18の監督は3年目。指導者歴は8年。そんな経歴です。
●山中さんとの最初の出会い
倉本:なるほど。ありがとうございます。最初に真と会ったの、あれだよね。Jリーグの研修。
山中:あそこですね。
倉本:だよね。
山中:長野の研修。
倉本:そうだね。そう。滅多切りされたJリーグの研修。
山中:はい(笑)。ハードでしたね。
倉本:ハードな。でもあれが自分にとっては結構人生の転機でもあって。
山中:へえ。上野山さん。
倉本:そう。上野山さんのあの講義を受けて、あれをやらなくなるっていう話だった。俺らが最後って。俺もったいないと思って、6カ月講座の発端は、あれが原型になってる。コーチの指導力を伸ばすってことが絶対必要だなっていうのは、それでずっと思って、自分も実感して、全然自分駄目だっていうのをそこで実感させられて、じゃあもっと良くならなきゃっていうところで、そうそう。だからあれすごい影響を受けて。
山中:あれは濃かったですね。ピッチのセッションも、ピッチ外のセッションも。すごい濃い時間でしたね。
倉本:うん。そうそう。あのとき、だからレイソルにもう入ったばっかりのとき?2013年?
山中:そうですね。1年目ですかね。
倉本:おお。そうだね。そうそう。早稲田出てって言ってたもんね。
山中:そうですね。レイソル入ってすぐだったって。なので指導者としても本当に何もわからない状況で、あのプログラムに参加させてもらったので、出会いもそうですし、受ける内容もすごく刺激的でしたね。
なんか上野山さんは選手に考えさせること大事にしたじゃないですか。なんでなんで…って。どうしてどうしてって、繰り返し聞いていくっていう。そうやって思考に刺激を与えていくみたいなことを言ってたじゃないですか。
そもそもやっぱ選手やってるとそういう考えはないので、なるほどなって。指導者が選手にアプローチしていくってこういうことなんだな。難しいなって。その壁はすごい大きかったですね。
倉本:うんうん。へえ。そうなんだ。なるほどね。もうプレーするのがいっぱいいっぱいすぎて。
山中:はい。そうですよ。だからそこで改めて指導者もやっぱいろんな方がいるなって、ここでの出会いも含めて、カズさんとの出会いも含めて、それぞれのキャリアも違うし、サッカーとの向き合い方もそうだし、そもそもサッカーをどう考えてるかもそうだし、当たり前だけどいろんな方がいるんだなっていうのも一つ勉強になりましたね。
倉本:なるほど。そうだね。確かに。3週間、1週間が3回。かなりきつかったもんね。
山中:そうですね。いやもう来るのが怖かったですよ(笑)。また来るって。
倉本:(笑)。課題もいっぱいあるしね。
山中:そう。寝れないよって。
倉本:うん。そうだそうだ。
山中:でもそこでカズさんと会えるのは楽しみでしたよ。
倉本:あ、本当。ありがたいことです。
山中:はい。やっぱ僕もどちらかと言えば、今ほどでもないけど、そのときも少しは論理的に策を考えるのが好きだったし、だからそこでカズさんとそういう話ができるのは、練習メニューに関してもそうだし、楽しみでした。
倉本:いや、ありがとうございます。そんな言ってもらえてうれしいです。
山中:(笑)。はい。
●サッカーを始めたきっかけは?
倉本:そっか。じゃあここからどんどんちょっと過去のことを聞いていこうかなと思ってるんですけど、小学4年生でレイソルって言いましたけど、サッカー始めたきっかけは何歳ぐらいですか。
山中:きっかけは父ですね。父が中学校の教諭なんですよ。サッカー部の顧問やってて、もう幼いころ、幼稚園、保育園のころから土日とかはその部活に連れて行かれてたんです。家にいないから。面倒見ないといけないし、子どもの。サッカーするわけじゃないけど、その中学校に一緒に連れていかれて、まあ放置されてたんですよ。
そこでサッカーと触れ合う。嫌でも見えちゃうじゃないですか。そこでサッカーと触れ合う時間があって、父ともサッカーやりましたし、それがきっかけで、クラブに入ったのは小学2年生ですかね。僕、埼玉の川口出身なんで、川口北っていうチームに、友だちの影響ですかね。仲良かった友だちがここ入ってるっていうのもあって、そこからクラブに入って本格的にサッカーが始まりました。
●柏レイソルに行ったきっかけは?
倉本:へえ。そこからレイソルに行ったきっかけは?
山中:きっかけはそのときに、川口北で担当してくれてたコーチが柏レイソルのセレクションがあると。だから受けてみないかっていうので、受けてみたんですよ。当時多分、大宮もなかったのかな。ジュニアチーム。浦和も…。
倉本:まだなかったかもしれない。確か大山啓輔が1期生なんだよ、多分ジュニアの。
山中:はい。じゃあないですね。多分一番近かったのがレイソルだったんですよね。Jリーグのアカデミーで。生粋の僕はレッズファンだったんで、『We Are REDS』って歌ってたんで(笑)。
倉本:(笑)。そうなんだね。
山中:はい。ただジュニアチームもなかったし、その担当コーチのお話もあって、レイソル受けることになったんですよね。
倉本:へえ。それで受かっちゃったと。
山中:そうなんです。たまたま。本当に。
倉本:(笑)。たまたまじゃないから。
山中:運よく。いやいや。そうなんですよ、でも。後々辿っていけばわかりますけど、僕も早熟だったので。やっぱり体も出来上がるのが早かったですし、そういうのもあって多分、ちょっと周りの子に比べたらできるなって思われたのかもしれないですね。うまい子いっぱいいましたけどね、本当に。
倉本:へえ。どのぐらい受けてたか覚えてる?何人ぐらい?
山中:当時はでも今と比べたら全然少ないですよ。200いかないぐらいだと思います。180とかだったですかね。
倉本:まあそれでもその中から選ばれるってね。
山中:いやいや。今だったらもう絶対受かってない。受験生も多いし。よかったですよ、そこは。
●小学校の時に一番印象に残っていることは?
倉本:(笑)。なるほどね。へえ。小学校のとき、一番印象に残ってることってなんですか。
山中:一番印象に残っているのは、やっぱその石川健太郎さんって担当コーチだったんですけど、その人との出会いで、具体的なエピソードで言うと、夏に合宿があったんですよ。菅平かな。その帰りに、僕らめっちゃ怒られたんですよ。
練習してから新幹線が止まる駅まで公共のバス使って移動して、そこから帰るんですけど、みんなもうヘトヘトで疲れてて、その新幹線の駅に向かうバスで、みんなもう席空いてたから座って、疲れてきてもう寝ちゃったりしたんですよね。
途中でおばあちゃんが乗ってきたんですよ。だけど、誰もその席譲らなくて、おばあちゃんはずっと立ってたんですよ。駅ついてから、もうすぐに集合かけられて、「ちょっと来い」って言って、「誰か譲ったか」っていう。
その石川さんとかそのコーチの人は荷物車もあったので、レンタカーで後ろからついて来てたんですけど、いなかったんですよ、そこには。なので、バス下りてから、「お前らな、誰か譲ったか。おばあちゃんに」と。
「これからそういうサッカー続けていくサッカー選手として鍛えていくことも大事だけど、人としてどうあるべきかっていうのもすごく大事だぞ」っていうのを言ってくれて、困っている人を助けてあげなさいっていう。
もうヘトヘトな僕らに、すごいきつかったんですけど、そういう話をしてくれて、それはすごい印象に今でも一番の記憶ですね。ある意味それが指導者を目指そうというか、目指そうまではいかなかったですけど、指導者っていいなって、ちょっとくすぐられた。すごく大きなきっかけですね。
倉本:へえ。そうだね。そのぐらい鮮明にしゃべれるって、かなり覚えてるんだね。
山中:いや、そうなんですよ。覚えてるんですよ。怖かったんですよ。
倉本:(笑)。
山中:見た目がちょっと怖い方なんで。根はやさしいんですけどね。集合かけられて、うわ、やばって。なんかしたかっていう。で、その話だったので、小学生でしたけど、確かになって。
倉本:いいね。そういうことが話できるって素敵だと思うし。
山中:いやいや。サッカーで言ったら、パスすんなっていう。パス禁止。当時キーパーもいなかったんで、専門の人がいなかったんで、キーパーも順番でやるんですけど、その菅平の、毎回言ってたのかな。試合はもうキーパーが持ったとしてももうパス禁止なっつって。すごい面白いですよね(笑)。
倉本:(笑)。面白い。
山中:そんな思い出はありますね。
●ジュニアユースに昇格するためには?
倉本:なるほど。すごいな。面白いな。へえ。そこからジュニアユースはあれ?セレクションとかじゃなく、もうそのまま普通に上がったみたいな感じ?
山中:そうですね。そこでも一度、僕らのときは小学5年生のころにAB分けっていうのがあって、一応そのAっていうグループに入ると、そのまま6年生、その学年で、自分の学年でプレーできるんですけど、そこでBチームってなっちゃうと、6年生だけど5年生と一緒にプレーしないといけないっていう、そんなシステムがあって、今は全然ないですけど、まずそこで一つ評価のポイントがあるのと、あとは小6からジュニアユースに上がるタイミングでもありますね。そこでは外部から入ってくる子もいるので、そこで一応天秤にかけられましたね。
●当時のチームメイトについて
倉本:チームメイト、誰がいる?
山中:今現役で活躍してるのだと、輪湖ですね。輪湖直樹。今福岡で左サイドバックでプレーしてる選手ですね。
倉本:ああー。お兄ちゃん知ってます。
山中:そうなんですか。
倉本:うん。お兄ちゃん知ってる。
山中:学校の先生で。
倉本:そうそう。
山中:ユウキくん。
倉本:うん。なるほど。そうか。
山中:そうなんです。だから小4のセレクションのときに、その輪湖も一緒に受けてたので、すごい覚えてますよね。あのバンダナしてて、手首にもリストバンドみたいなのしてておしゃれだったんですよ。で、左利きだし、すごいうまいし、こんな選手いるのかよって衝撃受けましたね。
倉本:へえ。そうだよね。
山中:さっき早熟だったっていう話もありましたけど、小6からジュニアユース上がるのは、本当ギリだったんですよ、多分。小6、そのジュニアのころはばりばりレギュラーで出てましたけど、だけどやっぱりできることが減っていって、周りに体も追いつかれるし、スピードも追いつかれるしとか、そういう背景もあり、もう担当の石川さんからは、単純にそのセレクション生で見たら多分受かんなかったかもなって。だけどそのジュニアでの活躍とか、今までの評価があったから上がるよっていう、そういう話されましたね。本当なんとか残れましたね。
●その当時のポジションは?
倉本:へえ。そのときっていうか、ずっとポジションはどこだったの?ボランチ?
山中:ポジションはセンターバックでしたね。当時は。小学生のころは。小学生だったからいろいろやったんですけど、ただその全国大会とかそういうとき、その公式戦になるとセンターバックが多かったですね。
●ジュニアユース時代を振り返ると?
倉本:なるほどね。ジュニアユースはどうでしたか。今振り返ってみると。
山中:ジュニアユース。僕、珍しいんですけど、石川さんに7年間、見てもらったんですよ。
倉本:ずっと持ち上がり?
山中:そうなんですよ。持ち上がりで。なので、そこまで担当コーチが変わって、なんかこう、指導者の影響を受けたとか、新しいサッカーを学んだとかはないんですけど、だけどやっぱりそのセレクションの話もありましたけど、できることが減っていったっていう、自覚というか自分で感じるものはあって、今まで何となく体のあたり負けなかったりとか、ボールも取られなかったりしてたものが、ちょっとずつスピードも相手の方が早くなってきたり、より強いやつが出てきたり、もっとうまいやつが出てきたり、その自分のできることが減っていってるなっていうのは感じ始めたというか、感じることが多かったのが中学生年代でしたね。なので、いかに自分を評価してもらうかというか、自分の価値をピッチで示すかっていうのは、中学生のころからすごく考え出したのかなっていう、振り返り。
倉本:なるほどね。だからこそっていう。
山中:そうですね。元々なんかこう、みんなで一緒にやったりとか、引っ張ったりとか、そういうのは好きだったんですけど、よりその質を自分の中で追求していったのが中学生ぐらいからですかね。じゃないと存在価値示せないんで(笑)。試合に出れないから。
倉本:(笑)。いやでもそこを冷静に考えたっていうか、自分のこと客観視したわけだよね。選手としての…。
山中:冷静にというか、もうそれしかねえなと思って。周り、あと楽しかったんですよね。そこに楽しさを見つけ出せたっていうのも、一つ運が良かったことかもしれないです。周りをうまく使えば、自分のところでボール奪えたり、自分のプレーが、攻撃においたらスムーズになったりとか、たまたま偶然そういう面白さを見つけることができたのがよかったですね。
倉本:なるほどね。へえ。そこでもうクレバーの感じ(笑)。
山中:いやいや。なんとかですよ。なんとか。
倉本:いやいや、でも自分の価値って何だろうっていうのに追求できる人っていうのは、それはどんな時代にあっても絶対に大事なことだと思うし、それを早くからそれを思考錯誤できるっていうのはすごいなと思います。
山中:はい。まあ運よく、そこにだから面白さを見つけられたんで、何かそれはちょっとヒントになりますよね。指導する上でも。誰かと協力したらこれだけ面白いんだよとか、これだけやることが増える、選べるものが増えるんだよっていう。
倉本:いや、いいな。まさにシェアですね。
山中:そうですね。シェアですね。
●ジュニアユースからユースに上がる時について
倉本:へえ。そこから、ジュニアユースからユースはまた…。
山中:そうですね。またふるいにかけられますけど。
倉本:ふるいにかけられるよね。
山中:はい。そこはとくに何も理由はないですけど、小学生からギリギリだよって言われたようなことはなかったですけど、まあ上がることはできましたね。
倉本:じゃあユースのときに、一番って絞れないかもしれないけど、一番印象に残ってることってどんなことありますか。
山中:ユースのころは、吉田達磨さんと出会うんですよね。ユースで。そこの出会いが大きいですね。一つ下の学年をずっと持ち上がりで、中学生から持ち上がりで見て来た方だったので、僕が高2のころかな。同じユースのカテゴリーでサッカーし出して、がっつり教わったのは高校3年生の1年間だけでしたけど、やっぱそこでの時間は自分にとってすごく大きい財産になってますね。
そこでポジショニングと、ボールタッチ。この二つの大切さを気付かされましたね。今まではもう何となくそこにいて、何となくボール止めててプレーしてましたけど、タツさんと出会って、そのポジショニングの重要性、ボールタッチの置きどころとか、そのボールタッチの重要性っていうのを教わって、それが僕にとっては衝撃でした。
こんなに変わるんだっていう。立つ位置でこんなに見える景色が変わるのか。ボール置く位置でこんなに選べるものが増えるのか。その相手の動きが見えるのかっていう。そこの衝撃は大きかったですね。
それがもしかしたら、僕が一人で何かできるタイプの選手じゃなかったっていうのも大きく影響してるかもしれないですけど、ドリブラーだったら別にそんなん出してくれたら俺抜くよとか(笑)。
倉本:(笑)。そうね。ガーンって行っちゃうからね。
山中:そう思えたかもしれないけど、そうなんですよ。僕の場合、それが無理だったので、だから自分が少しでも効果的にプレーするためにとか、チームのためにうまく活躍するヒントをそこで教わりましたね。
●ポジショニングの修正について
倉本:へえ。そこの話、詳しく聞きたいな。ポジショニングの細かさとかって、どういうふうに修正かけられるの?または自分で気付いていくのってどういうことやってた?
山中:うーん。なんだろう。とにかく練習すべてが良いポジションに立たないとうまくプレーできない。ボールポゼッションにしてもそうだし、ゲームにしてもそうだし。
あとはどんどんプレー頻度を重ねながらも、こういうところに立ったら良いことがあるぞっていうヒントをどんどん教えてくれるので、だからそのときは理解できなくても、すぐに瞬時にはわからなくても、練習中なので。そうなんだって思ってやってみると、それがうまくいくんですよ。
だから与えられた情報をもとにそれに沿ってプレーしていくと、何かうまくいって、こういうことねって納得が得られるっていう。そういう体験は多かったですね。だからどんどんサッカーに夢中になりましたし、面白さが深まっていった時間でしたね。
倉本:そうなんだね。
山中:ですね。あとは、一つ下の代がうまかったっていうのも大きいですね。もう達磨さんにずっと教わってきたので、彼らはすごいスムーズにプレーしますし、タツさんの言ってることがすぐわかるし。だからすぐ隣にお手本になるような選手たちがいたっていう。
もちろん、冷静に考える時間があると悔しいんですけど。一つ下見習ってるとか、あいつらの方がうまいとか、認めたくないけど、悔しいんですけど、でもピッチ立っちゃうともうそんなこと関係なくなってて、とにかく自分が少しでもうまくプレーするためにどうしたらいいんだろうって、常に頭は使ってましたね。
倉本:すごいね。そこでも冷静に見てたわけだね、やっぱり。
山中:いや、冷静なんて、本当、いっぱいいっぱいなんですよ。だけど僕は頭使って、使えてたかはわからないですけど、とにかく考えてやるしかないから、早くないし、強くないし、
でかくもないし。じゃあどう生き残っていくかって考えるともう小さい頭で、少ない脳みそで考えるしかなかったんですよ。
倉本:いやいや。へえ。
山中:いやいや、本当にそうで。だから本当、毎日充実してて、うまくいく充実とかじゃなくて、うまくいかないこともたくさんありますし、もうあいつらの方がうまかったなとか、やべえ、次の試合出れなさそうだなとか、ネガティブに思うこともありますけど、だけどその練習自体は学びがあったなって思える日が多くて。
だからその前、小学生のころ指導してくれた石川さんがちょっと指導者に興味を持たせてくれたって話しましたけど、タツさんによってサッカー観はすごい固まっていったというか、俺もこういうサッカーがしたい。こういうサッカーが好きだ。こういう考えが好きだっていうサッカー観みたいなものはそこでだいぶ磨かれたというか、固まっていきましたね。
倉本:なるほどね。いや、達磨さん、本当すごいなと思うのが、教えてたっていうか、一緒にサッカーやってた子どもっていうか人たちが、みんな全員じゃないかもしれないけど、かなりの割合で指導者、自分もやりたいって、真ももちろんそうだけど、結構そういう影響を与えられる指導者って本当すごいなって。
山中:そうですね。多いですね。サッカー好きになったりとか、自分もそういうふうに指導したいって指導者に憧れる人は多かったですね。
倉本:うん。そういう人ってすごいなって思うし、なんかそういう指導者が増えれば増えるほど、またその下の人たちが、仮に選手になれなくてもとか、サッカーに関わっていきたいよってなったときに、じゃあ自分も良い指導者になろうとか、なりたいなっていうサイクルって、なんか回っていくととても素敵だなと。
山中:うん。そうですね。選手だけがサッカー界じゃないですからね。
●現在募ボールタッチについて言われたこと
倉本:へえ。ボールタッチは?暗算練習した?
山中:ボールタッチは…そうですね。もう散々、ひたすら。
倉本:それ、どうやって練習するの?三角形?二人組?
山中:もありますし、あとは四角形とかもありますし、当時は4対2の練習よくやってたので、4対2とミックスしたり、4対2やってそのあと辺に立って、スクエアパスやったりとか、とにかく当時の僕らはオープンっていう言葉も知らないし、オープンってどういうものなのかっていうのも知らないし、だからとにかく反復ですよね。
繰り返し、そのボールタッチ練習して、そのポゼッションの中でもそのフリーだったらオープン置くようにとか、もうそれをとにかく徹底してましたね。難しかったですけど、繰り返しやることで少しずつ身に付いたり、その良さに気付いていったりとかしましたね。結構そこは言われましたね。ボールタッチも。「真、オープン」って何回も言われたし(笑)。
倉本:(笑)。へえ。
山中:今の選手たちはもうそういうのは知ってると思うんで、知ってる選手にはそこまで言わないと思いますけど、僕ら何も知らなかったんで、そこに置いたら何が、何で良いんだって、だからそこまで徹底して教えてくれてたんだと思います。
倉本:なるほどね。じゃあ残って練習したりとかしてたの?やっぱり。
山中:しまくりですね(笑)。覚えてますよ。
倉本:(笑)。本当。
山中:やっぱり知ったあとの差は感じてたので、あの代との差は。うまいし、僕ら全然できないし、だから練習終わってからもよくマーカー、四角形に置いて、4対2やってましたし、パス、トライアングルとか、四角パスとか、ひたすらボール蹴ってましたね。
倉本:へえ。そうだよね。そこはできるようになるまでって、やっぱり反復必要だよね。そこはね。
山中:そうですね。だけどそれは苦じゃなかったんですよ、全然。その練習後に反復練、ひたすら蹴り続けるとか、ひたすら4対2自分たちでやり続けるとか苦じゃなくて、面白かったんですよね、それが。そういう時間を過ごせたのはよかったですね。
倉本:へえ。すごいな。それに面白さを見いだせるように仕向けてるっていうところもすごいよね。
山中:いやそうなんですよ。発見させてくれたんで。達磨さんが。
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