プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 FC岐阜フィジカルコーチ井田征次郎①

サッカーコーチになるには? どういう経路があるんだろう?

プロサッカー選手としての経験がなくてもプロサッカーコーチになれる!
実際にそれを実現した方にフォーカスして対談していくシリーズ第1段!

FC岐阜フィジカルコーチ 井田 征次郎さん

 

井田さん紹介

プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 FC岐阜井田征次郎①

倉本:改めまして、井田征次郎さん、よろしくお願いします。

井田:よろしくお願いします。

倉本:はい。といっても、固い感じで始めるのもあれだなと思って。この企画自体はさっきも言いましたが、Jリーグのクラブのコーチ、もしくはJリーグのクラブで働いている人たちと僕が対談をするという動画なんですけど、僕が興味を持ってるのは、自分も含めだけど、元選手、プロ選手じゃなかったのに、Jリーグのクラブで働いている人というのは、どういう経緯でそうなったのかみたいなのを、ぜひ話を聞きたいなと思って、今回は井田ちゃんにお願いをします。

簡単でいいので、経歴みたいなのを教えてもらってもいいですか。

井田:はい。今、年齢はカズくんと一緒で37歳。今年38歳になる年です。経歴としては、大学は筑波大学の体育専門学群と言って、スポーツ科みたいなところを出ました。卒業してすぐにイタリアに渡って、5年間、イタリアで指導者の勉強。とくに、僕はフィジカルコーチというものに就きたかったので、その勉強をしに、イタリアに渡りました。

2005年に渡って2010年に帰国して、2011年から、僕は地元が岡山なんですけど、ファジアーノ岡山のユースがその年に立ちあがるということで、そのユースのコーチ。フィジカルコーチではなく、コーチとして働くことになりました。

そこで2年間、ユースのコーチをして、2年後に、やっぱりフィジカルコーチというもの専門で、自分がやりたいっていう思いがあったので、2年で退団して、次を探してるときに話があったのが、中国の、まあ中国のクラブチームではなくて、2年に1回、中国国内の大きな大会、日本の国体のような大会のもっと大きめのやつがあって、そこの遼寧省という大連が中国の北側の方にあるんですけども、そこの都市の選抜チームでフィジカルコーチを探してるということで、監督が日本人の方が僕より前からされてて、日本人のフィジカルコーチを探してるっていう話があって、それで興味を持ってそこに行きました。

それは期間限定でその大会が終わるまでだったので半年間、実質5カ月、そこで大会が終わるまで帯同して、それを終えて日本に帰ってきて、また次を探してるときに、次話があったのがタイのタイリーグのトップチームで、また日本人の方が監督をされてるチームで、フィジカルコーチを探してるっていうことで、そこでもう一度ぐらい海外でやりたいという、自分も思いがあったので、そこでタイに行くことにしました。そこで、それはもう何年というわけで、契約が切れるまでやるつもりで行ったら、なんやかんやで4年ぐらい。

倉本:トータル4年?そっか。

井田:タイは4年間いました。それで4年終わって、またタイでチームを探すか、日本も毎年実際にはちょっと話があったら日本でもやってみたいなっていうのはあったので、その4年目が終わったタイミングで探してるときに話があったのが、Jリーグのレノファ山口からの話があって、2018年、レノファ山口に入って、2年間、山口でフィジカルコーチとして働きました。

2年で契約が切れて、次に話があったのが、今いるJ3のFC岐阜からお話をいただいて、そこでやることに決めて、現在に至ります。

倉本:おお。もう突っ込みたいところいっぱいあるんで、掘り下げていきます。

井田:(笑)。はい。

最初の出会い

倉本:最初に僕らが知り合ったのが、井田ちゃん、イタリアにいて…。

井田:イタリアに行っていて、カズくんがビルバオにいるとき。

倉本:そっか。ビルバオにいて…。

井田:2008年か9年ぐらいだったかな。俺がビルバオに遊びにいって、カズくんがブログをしてたのを俺は見てて、カズくんも俺のブログを見てたのかな。

倉本:見てた。うん。

井田:それで、どっちからか連絡はわかんないけども、お互いなんかちょっと海外にいて、同い年っていうので、それで連絡取り合って、俺が行くって言って、ビルバオに行って、当時サンタンデールにいた藤原さんと3人で会って、それで確かカズくんの仕事で、あそこに行った。オサスナの試合か。

倉本:そうそう。パンプローナ行った。

井田:パンプローナに取材で行ってて、一緒に俺も試合を見に行かせてもらって…。

倉本:あれ、オサスナ対マドリー戦じゃなかった?

井田:そう。レアル・マドリー戦の最終節でオサスナが勝って、残留決めて…。

倉本:そうだホーム最終戦で残留決めたやつ。みんな終わってグランドになだれ込んでた。

井田:ピッチになだれ込んで、そうそう。そのときだね。初めて実際に会ったの。

倉本:ああー、そっか。そうだね。

井田:10年ちょっと前くらいか。2008かな。

倉本:8年じゃないかな。

井田:バルサがチャンピオンズリーグ優勝したときだ。俺が出た日に決勝だった、確か。スペインに向かう飛行機、ローマでの決勝。

倉本:ってことは、2008、2009?

井田:9か。9のあれか。6月か。

倉本:9じゃない?あれじゃない?グラディエーター作ったやつじゃない?

井田:そうそう。

Pep's Gladiators – Video used to motivate FC Barcelona before Champions League Final in Rome 2009.

倉本:マンUの試合の前で。

井田:そうそう。

倉本:そうだそうだ。

井田:ローマでチャンピオンズリーグの決勝があるのに、俺はスペインに飛んでるっていう(笑)。

倉本:(笑)。確かに。見に行かないんだ。

井田:そうそう。そんな日でした。

倉本:懐かしいね。

井田:まあでも覚えてる、本当に。

倉本:いや、確かに。パンプローナが、なんかすげえ面白かった記憶がある。そのとき。

井田:そうそう。雰囲気もすごかったし。

倉本:ああ。いやー。あれから、もう10年以上経つの?

井田:11年か。

倉本:うわ。

井田:早いもので。

倉本:びっくりするわ。

井田:ね。まだお互いが20代だったとき。

倉本:そうだね。いやー。びっくりするわ。確かに。じゃあその年に帰ってる、多分。

井田:あー。そのシーズン終わって帰ってるから。

倉本:シーズン終わって帰ってるんじゃないかな。

井田:なるほど。

サッカーを始めたきっかけは?

倉本:なるほど。面白い。じゃあここからどんどん掘り下げていくんですけど、サッカーを始めたきっかけは何でした?

井田:もうきっかけはよくある、うちに4つ上に兄貴がいて、兄がサッカーをしてて、それでなんか自分もついていって、自分も同じサッカークラブに入ってっていう、よくありきたりな(笑)。

倉本:(笑)。それ何歳のとき?

井田:だからもう、小1からそこのクラブには。

倉本:へえー。小学校のときはどんな選手だったんですか。

井田:どんな選手っていうか、なんか、そんなに強いチームっていうあれでもなかったし、雨が降ったらもう練習は休みになるような、そういう、ちょっと人数はいっぱいいたけども、ゆるい感じのクラブで、もう本当に練習っていっても、最初にリフティングして、パス練習して、もうゲームやるよみたいな。

2時間ぐらい、週に1回っていうようなあれで、もうサッカーをやってたっていうよりかは、もうみんなで、一応サッカークラブではあったけども、なんか教えてもらったっていうよりかは、なんかみんなで集まってやってたっていうぐらいの。

どういう選手だったかっていうか、まあなんだろう。その中、クラブの中ではボールは蹴れる方。まともに蹴れる方だったから、試合のときとか、試合も出させてもらったし、決してうまい選手ではなかったけど、何も考えずにボール追っかけてやってたかな。

中学生時代

倉本:へえ。なるほど。中学は普通の中学校?

井田:もう普通の中学校の部活。中体連の部活に入って。

倉本:強さはどんな感じだったんですか。

井田:もうそんな、もう全然県大会に出れるか、出れないかとか、そのレベルだし、俺らの、自分の代のときも、県大会にも出てないぐらいの、もう本当に全然、地区のでなんか予選かで負けるような、その程度の本当に全然。

高校時代

倉本:なるほど。そこから高校はどうやって選んだの?

井田:高校は、もうその中学の時点でトレセンとかにも入れなかったし、トレセンの選考会に行ったときに、こんなにうまいやついるんだって、もう市のトレセンのレベルで思ったぐらいうまくなくて、だからもうサッカー選手っていうことが、自分がそこからなっていくっていうのを考えられなかったし、多分それだけのモチベーションもなかった部分と、

あと全然違う問題で、中3ぐらいのときに一回サッカーが嫌になった時期もあって、部活が嫌になった時期があったりもして、でもまあ高校、中学の1個上の先輩が、進路考えてるときにたまたま近所に住んでた先輩が、高校で、その先輩が行ってた高校のサッカー部の先生が今年から面白い先生が来たんだみたいな、サッカーの強いところから来た先生で、それが面白い指導者で、その高校も候補の中に入ってたから、どうせだったら何かもう一回そういう面白い指導者の人がいるんだったら行ってみたいなっていうので、普通の、本当に普通科の言ったら進学校のような学校だけども、元々その大学にはなんか漠然と行きたいから、普通科を志望はしてたから、それでサッカーもできるんだったらっていうので選んで、普通科の高校に行きました。

倉本:なるほど。高校3年間、どうでしたか。その先生から影響受けたことあります?

井田:初めてちょっとサッカーを教えてもらったというか、もう本当に中学までは言われたことをやるだけだし、全く教えてもらったっていうことはなくて、メニューがあってそれを淡々とっていうか、やるだけだったのが、ちょっと考えてできるというか、こういう動き出しがあるんだよとか、なんかそういうことを少し教えてもらった先生だったから、それでもやっぱり中学まで全く考えてやってなかったから、高校でもどちらかっていったらもう本能でというか、ボールが出たところに走るみたいな、そんなプレイヤーだったし、でもまあそうやってちょっと教えてもらえたっていうことはよかったし、その先生自体、個人的に好きな先生だった。人間的にも。

それで楽しかったけども、試合は結局、その高校でも、高校2年生のときぐらいは一番調子良くて、試合も出たりとかしてたけども、もう高3になって最後の大会とかはレギュラーじゃなかったね。ベンチメンバーだったね。そのぐらいのレベル。

倉本:へえー。ポジションはどこだったの?

井田:高校のとき?

倉本:うん。

井田:高校のときはサイドハーフになるか。サイドハーフ。小学校のときフォワードやって、中学校のときはトップ下みたいな感じになって、どんどん周りがうまくなってくると技術レベルがついてこなくて、どんどんサイドに追いやられる(笑)。そんな感じの、もうサイドで走ってる選手。

倉本:へえー。そういうタイプなのね。ガンガン走る系だったの?

井田:まあ、本当に出してもらう。高校のときはなんかパスを出してくれる選手がいて、それでもう本当に走ったらタイミング良くパスが出てくるっていうので、それがハマったときは試合に出れたとき。

倉本:なるほどね。そんな井田少年ですが、どうして筑波に行こうと思ったんですか。

筑波大学にいくきっかけは?

井田:まあ、その高校のときの顧問の先生が筑波のサッカー部出身の先生、体育の先生で、その先生自体がよく部活のミーティングだとか、高校2年生のとき、担任の先生でもあったんだけども、なんか結構その筑波の話をサッカー部でこんな人がいて、こういうことがあってとかいう話をちょこちょこしてて、筑波大学っていうのは頭に入ってて、でも高校1年生までは全くそのスポーツの方に進むっていうことが頭になかったんだけど、またうちの兄貴は工学部に大学進学して、ずっとちっちゃいころからやっぱり兄のやってたことを見てたから、自分も工学部に漠然と進学、高校1年生のときの進路希望調査は工学部とか、そんなものだった。

理系の学科でクラスにも進んだしって思ったけども、高校2年生になったときに、俺それ興味ねえなと思って、思ったっていうか気付いて、俺法学部行ってもなんかそれ興味ないなと思ったときに、ちょうど高校2年生の担任で、そのサッカー部の先生で、そういう話を聞いてて、スポーツ、なんか選手としては無理だけども、そのときちょうど時期的にテレビで結構スポーツトレーナーとかが取り上げられ始めてたときで、そういうの面白いかもっていうので、スポーツ選手の、自分も怪我が多い選手だったから、怪我の予防だとか、怪我のときに何かできる人ってトレーナーっていう職業があるんだと思って、

またその進路の相談で担任だったから、その先生に話したときに、「筑波だったらそういう勉強できるよ」みたいなっていうのを聞いて、でもじゃあ偏差値を見たら、自分の成績とははるかに遠いところにあって、でも筑波の受験だったらセンター試験さえなんとかなれば、あとは実技と小論文とかで、言ったら、普通に法学部とかで数学の筆記試験とか、英語の筆記試験とか、そういうすげえ難しいっていうのよりかは、偏差値に比べるとハードルはそこまで高くないと。

言っても、それでも成績は全然足りないところだったけども、でも初めて興味を持ったことだったから、ちょっととりあえずそれをそっちに進みたいなっていう思いが強くて、受験勉強を始めて、高2、高3、もう高3の夏までは、それでも模試とかではD判定、ずっと。

担任の先生からは「進む方向は別に変えなくてもいいけども、志望校は変えた方がいいんじゃないか」っていうのは言われてたけども、なんか、ほかの学校っていうのがあんまり頭になくて、とりあえずセンター試験を頑張ろうっていうので、高3の夏からパンパンパンとうまく上がっていって、センター試験がなんとかギリギリいくかいかないかっていう、チャレンジできなくもないところまでいったから、最終的に受験も筑波にして、なんとか奇跡的に受かったっていう。

倉本:いや、すごいな。なるほどね。筑波で。ごめんなさい。僕大学行ってないんで全然わかんなくて。何学部とか、どういう勉強をしたの?結局。

筑波大学時代

井田:名前は体育専門学群っていう、ちょっと変わった名前なんだけども、いわゆるスポーツ学部、体育学部で、もうその体育っていうもの、もういろんな分野に体育つけたらなんにでも成り立つっていうか、医学もスポーツ医学ってあるし、栄養学も栄養学で、心理学もスポーツ心理学ってあるし、経済とかもスポーツ経済とかあるし、もう本当にあらゆる分野のそのスポーツに関わることは、もう基礎的なことだけども、一通り授業としてはカリキュラムではあって、その中で3年生からゼミに入るんだけど、そのゼミに入るときに自分が専門としたい部分を選ぶっていう流れになってて、1年、2年生はもう本当に基本的なスポーツのあらゆる分野を授業で学んでいくっていう。

倉本:体の構造とか。

井田:そういうのもあるし、生理学、運動生理学、そういうのも全部あったりとかして、大学に入ったときから、そういう医学的なことっていうのは興味があって、やっぱりトレーナーになりたかったから。

それでスポーツ医学の方を選ぼうかなって思ってたときに、大学の2年生のときに、体力学っていう、運動生理学とはまたちょっと違うんだけども、という、体力づくりの部分の授業があったときの先生がすごい面白くて、授業。

その先生のところに話を聞きにいったら、そういう体力トレーニングのことをそこで学べるということで、スポーツ医学とどっちにしようかなって迷って迷って、トレーナーの勉強は大学入ってからずっとやってて、トレーナーっていうのは、とくにサッカーのトレーナーのは、Jリーグとかにも、もう研修じゃないけど、ちょっとなんか見に行かせてもらったりとかしてて、見てたら、トレーナーは基本的にやっぱマッサージとか、鍼とか、治療する人。

あとは怪我をしたのリハビリっていう、怪我を、どちらかといったら怪我をしたあとに、じゃあどう復帰させるかっていう、怪我をしたあとの対処っていうイメージが自分の中であって、でも体力トレーニングとかは、怪我をしないようにどう体を作るかとか、そういった部分があるなっていうのが自分の中で感じて、最終的に選ぶときに、自分、そういう怪我をしないようにするためにはどうしたらいいかって考える方に興味を、最終的に自分が持って、その体力学の研究室に入って、そこからフィジカルコーチっていう仕事があるっていうことを知ったりとか、サッカーには。

そのその研究室の先輩でJリーグのフィジカルコーチになっていく先輩とかもいたので、そういうのを見て、こういう道に行きたいなっていうのを、大学時代はそういう流れでそういった勉強を。

まあ選手も途中まで、筑波のサッカー部は選手としてしか当時は入れなかったので、トレーナーとして入るとか、コーチとして入るっていうことができなかったから、選手をやりながらそういった勉強をして、学年が上がっていったら、ちょっとそういうトレーナー専門になる人とかはいて、俺も大学2年までは選手続けて、もう3年生からちょっと、トレーナーの勉強、その医学の勉強とかもやっぱしたかったから、だからトレーナー専門になって、3年生、4年生はサッカー部のトレーナーとして。

倉本:トレーナーついてたんだね。へえ。

井田:として活動してて、大学の授業とかはそういう体力のトレーニングの勉強をしてっていう形でやってました。

倉本:なるほど。かなりもうやりたいことがスパーンと結構決まって。

井田:まあ、はまったというか、やっぱりそれぞれのところで出会いというかきっかけになる人がいて、それでなんかうまくはまってっていうのはありました。

印象に残っていること

倉本:なるほどね。じゃあ、大学時代、一番印象に残ってることはなんですか。

井田:ちょうど日韓のワールドカップがあって、ワールドカップを、日本でチケット取れなかったから、韓国に見に行って。

倉本:そうなんだ。

井田:韓国まで見に行って、サッカー部の連中、何人かと見に行って、実際にワールドカップ見て、なんかテレビで出てるような選手が目の前でサッカーしてて、その盛り上がりとかもあったし、そのワールドカップのときは一つ、そういうところでなんかそういう舞台で働きたいなって思う憧れというか、ちょっとJリーグとかからまた、一個上の段階っていうか、また代表チームっていうのは、また違う世界かもしれないけども、なんかやっぱ、自分が選手になれなかったけど、そのレベルになかった分、やっぱり何かしらでプロの舞台に携わりたい憧れは当時からあって、今でもそれはすごく感じるというか、選手としてピッチに立つことはできないけども、でもそうじゃない自分がそのピッチにコーチ役としてとか、そういう何かの役割で立ちたいっていう、今も立ち続けたいというか、そういうあれは、気持ちは当時から何かあったかなと。

倉本:へえ。なるほど。面白いな。

後編へ続く

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