プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 栃木シティFC新井貴之①

サッカーコーチになるには? どういう経路があるんだろう?

プロサッカー選手としての経験がなくてもプロサッカーコーチになれる!
実際にそれを実現した方にフォーカスして対談していくシリーズ第3段!

栃木シティFC 新井貴之さん前編です。

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新井さん紹介

プロサッカーコーチになるには?私の履歴書 栃木シティFC新井貴之①

倉本:じゃあ改めまして、新井さん、こんにちは。

新井:こんにちは。

倉本:今日はありがとうございます。

新井:こちらこそありがとうございます。貴重な時間を。

倉本:いえいえ。こちらこそ。僕が勝手にシリーズ化している、Jクラブで働いたことある人にインタビュー。しかもそれが元選手じゃなかったのにJクラブで働いたことある人っていうのにスポット当てて、僕と親しい仲の人から、まず行くっていう感じで話をしてるんですけど、まずは新井さんの経歴っていうか、今何してるのかも含め、少し説明してもらってもいいですか。

新井:はい。今は関東リーグに所属してます栃木シティFCのヘッドコーチをして2年目ですね。その前はベガルタ仙台のジュニアユースの14の監督、15の監督を2年間、あと7年間ユースをさせてもらって、仙台にはいさせてもらいました。
その前にはまた地域リーグに戻って、四国リーグのカマタマーレ讃岐で2年間、ヘッドコーチとあとアカデミーのスクールマスターをさせていただいて、そのまた遡ると浦和レッズのハートフルクラブというところでコーチをさせてもらってました。

倉本:なるほど。ありがとうございます。結構いろんなチームに行ってっていう、すごい面白い経歴。

新井:そうですね。ビッグクラブからその上のクラブまで、いろいろ経験させて、それもカテゴリーが違う、年代が違うところを経験さしてもらってるっていうのは、すごい良い経験となってると自分では思ってます。

僕らが出会ったきっかけはバルセロナ!

倉本:確かに。新井さん、僕、最初に会ったのって、何年だったか覚えてる?2000…。

新井:2005年。

倉本:5年。

新井:2005年のエスパニョールの練習場。

倉本:練習場ですよね。しかもリュイスの練習見に来てたんですよね、新井さん。

新井:そうです。

倉本:今の今治の監督。確かそうですよ。リュイスの練習見に来てた。僕はジョセップの練習を見に行ってて。

新井:そうそう。

倉本:そうそう。リュイス、今の今治の。

新井:今治の監督さんと。

J3参戦の今治、リュイス氏が新監督に決定!「一番高いところを目指してスタートする」 | サッカーキング
 FC今治が9日、新監督にリュイス・プラナグマ・ラモス氏が就任したことを発表した。  リュイス監督はエスパニョールやグラナダの育成組織の指導歴を経て、2016年···

倉本:そうそう。

新井:で、ジョセップも面白いのがいるっていうので、多分ちょっと見させてもらった感じ。

Pep Clotet - Wikipedia

倉本:そうそう。2005年。

新井:2005年です。

倉本:うわー。しかも、そうか。バルセロナにそのとき行ったきっかけってなんでしたっけ。

新井:行ったきっかけは、バルサの練習を見させてもらうっていうところまで第一で、その前はマジョルカ。中谷さんで、マジョルカに行ってバルサの練習見て。その時間が空いたんでちょっとエスパニョールも行こうかっていったらカズくんに会った。

倉本:(笑)。そういうことか。

新井:そういうことです。

倉本:しかもいないですからね。あの当時で日本人で、松井さんは働いてるけど、練習見に来てる日本人なんていないから。あれ絶対日本人だよなって思って。

松井 真弥|トップチーム|スタッフ紹介|FC今治 公式サイト / FC.IMABARI Official Site
FC今治のトップチーム・育成・普及・レディースの監督・コーチ及びアドバイザーの紹介ページです。

新井:それは逆に俺もカズくん、あれ?日本人だよなって。でもカズくんがサッカークリニックで多分連載をしてたんで、逆に僕はわかってた感じかな。

倉本:なるほど。光栄です。そのときはじゃあハートフルのときですか。

新井:そうですね。浦和レッズのハートフルの2年目。

倉本:そこからもう15年。その翌年、その年でしたっけ?みんなで世界のヤマちゃんで飲んだときって。杉山さんとか岩瀬さんと会ったとき、覚えてないですか。

新井:2006年か7年だよね。

倉本:次の年か。

新井:カズくんが帰ってきて…。

倉本:一時帰国で帰ってきて、そうそう。

新井:14~5年前なんだ。すごいね、それ。

倉本:すごいです。

新井:びっくり。

サッカーを始めたきっかけは?

倉本:びっくりしますね。なるほど。じゃあ今度は、サッカー始めたそもそものきっかけ、ちっちゃいころ、いつぐらいですか。

新井:きっかけは保育園に通ってたんですよ。保育園の園長先生がサッカー好きで、よく保育園ってお昼寝あるじゃないですか。お昼寝終わったあとにサッカーをするっていうのがなんかあったんですよ。

倉本:すごい保育園。へー。新井さん、ずっと埼玉ですか。

新井:ずっと埼玉です。高校まで埼玉。

倉本:じゃあかなり早いですね。サッカー始めたの。

新井:サッカー始めたんだけど、小学校1年生から3年生まではサッカー少年団に入れなかったんで、そこはなんかいろいろ遊んでたりはしてましたね。

倉本:何して遊んでたんですか。

実は秩父出身!

新井:僕、秩父市っていうところ出身なんです、埼玉県の。秘境って言われるところなんです。そこ、山ばっかりなんで、そこへ駆け巡ってました。ちなみに、話脱線しますけど、秩父市の人口が6万人なんですよ。カンプ・ノウって9万~10万入るじゃないですか。

倉本:入るね。

新井:秩父市の市民が全員入っちゃうっていう、それぐらい少ない。まあそれはどうでもいいですけど。

倉本:いやいや。温泉入りに行ったことありますよ。

新井:はい。ブログ、Facebookの。

倉本:あとあれ、芝桜も見に行きました。

新井:芝桜。でも私15歳までしかいないんで、ちょっと秩父のことは教えてくれって言われてもわかんない(笑)。が現状です。

倉本:なるほど(笑)。オッケーです。じゃあ小学生でそれ少年団に入ったんですか。

新井:少年団に、もうバリバリの保護者の方が差し入れしてくれるような少年団、5~6年生まで普通にやってました。

倉本:どんなプレイヤーだったんですか。小学校。

新井:もうガチャガチャだよね。もうどこでも顔出したいみたいな。

倉本:(笑)。ポジションはどこだったんですか。

新井:ポジションはない。

倉本:ないの?

新井:まあ中盤やってましたけど、ガチャガチャです。

中学の時は?

倉本:へえ。なるほど。それでそのまま地元の中学校ですか。

新井:地元の中学校行ってJリーグ始まったって感じかな。

倉本:そうか。そのタイミング。

新井:うん。ちょうど中1か、ちょうどときにドーハがあって、そのあとにJリーグが開幕したんで。

倉本:なるほど。中学もサッカー部で。

新井:サッカー部です。普通に。

倉本:トレセンとか入ってたりしたんですか。

新井:トレセンっていう事業知らなかったです。

倉本:でもあった、ありましたよね、多分ね。

新井:多分あったと思うんですけど、やっぱり秘境までには来なかった。多分間違いなく 笑

高校時代は?

倉本:(笑)。いやいや。で、そこから高校がもうあれなんですか。埼玉市内の方に来たんですか。

新井:そうです。大宮東高校に入りまして。

倉本:それはどうしてですか。きっかけはなんだったんですか。

新井:きっかけは昔、三浦カズさん好きで、三浦カズさん、ブラジル留学したってあったじゃないですか。だからそれでブラジルに留学できる高校を探してて、それで大宮東がやってたんですね。高校1年生の希望者は誰でもブラジルに1カ月行くっていう。それ●(08:45)行きました。

倉本:へえーっ。すごい。それでもどうやって知ったんですか。そんな情報。

新井:それは知ったのは練習会に行ってからなんですけど、手あたり次第、練習会に参加してたんで、いろんな高校に。大宮東高校さんとか、西武台さんとか、花咲徳栄さんとか。だからそれで知って、じゃあもう絶対ここにしようって言って。

倉本:へえ。で、本当に行ったんですか。

新井:はい。今だから多分もう話してもいいと思うんですけど、当時の監督さんからには、お前ちょっとあれだから来なくていいよって言われたのが衝撃的だった一言っていう。うちの両親も衝撃だって、一言。

倉本:ええーっ。入る前にってこと?

新井:もう、そうです。練習会で、お前下手だから、下手とは言わないんだけど、お前ちょっと難しいから来ないようにって、何か一人ずつ、円になって話をしてて、そう言われて、でも「いや僕行きます」っつって(笑)。当時あった推薦入試で行きました。

倉本:じゃあ結構頭良かったんですね。

新井:それは違います。

倉本:えっ、何で?

新井:内申点が良かったので。今って内申点あるのかな。

倉本:どうなんでしょうね。

新井:生徒会長してたんです。中学校のとき。

倉本:えっ。

新井:はい。そうすると結構ポイントが高くて。

倉本:(笑)。確かに。

新井:あと、サッカー部の部長もやってたんで、まあ部長みたいな。そうするとなんかポイントが高くなるって、入ってから知ったんですけど、そのポイントで入りました。

倉本:何かお得なポイントみたいになってるけど、でもそうなるにはそういう人格の人じゃないとならないですから。へえ。

新井:でもたまたま。

倉本:いやいや。たまたまではないですよ。なるほどね。で、ブラジル、1カ月行ってたんですか。

新井:1カ月。7月のもう本当に25、4、夏休み入った日に出発して、だから8月の24~5に帰ってくるって感じで行ってました。

倉本:一番印象に残ってることってなんですか。

新井:一番印象に残ってるときには、そのときって向こうでブラジル人の監督、コーチ、フィジコ、トレーナーっていう、そのセットのところに僕ら20何人がお世話になるっていう形の留学だったんです。だから…。

倉本:選手まるごと行って、そこでブラジル人の指導受けるみたいな。

新井:そう。通訳の方がいてっていう感じで、それで1週間トレーニングして試合っていう、そのサイクルでずっと1カ月やってて、そのときにいたフィジコの人がすごい僕ら試合出れなかった子たちに対しても、すごい面倒見が良くて、もう絶対サッカーもし駄目になりそうでも、大学行ってしっかり勉強して、サッカーに何かしらつながることやった方がいいよっていうこと言ってもらってて、それはそのサッカー以外ですけど、すごい印象に残ってますね。今でも行ったりする。

倉本:へえ。なんかそれが転機みたいな。今思うと。

新井:そうですね。今思うとそれが転機だし、入った時点で競技では通用しないなって思ったんで。

倉本:そうなんですね。

新井:そうですね。だからガチャガチャにやってました、高校のとき。

倉本:(笑)。ガチャガチャだった。

新井:はい。

倉本:へえ。でもまあ3年間はやったんですか、サッカー。

新井:3年間しっかりやって、当然プロは無理なんでどうするってなったときに、じゃあ大学受けて、いろんなとこ受けて、それは受からないですよね。勉強もしてないんで。ずっとサッカーしかしてない。なので、っていう感じ。一浪して大学に入った。

倉本:なるほど。その大学はサッカーで入りたかった感じなんですか。要はこのチームっていうか、強いとこでやりたいとか。

大学を選んだきっかけ

新井:いや、それは全く思ってなくて、もう、その前をちょっと遡ると、高校2年生の途中から外部コーチが来たんですよ。の方が来てくれて、その方がすごい当時では珍しくライセンスを持ってる方で、当時のB級とかC級持ってた方で、その方がいろいろサッカーの話をしてくれたりとか、サッカーコーチってこういう感じだよっていうような話をしてくれたので、そのときからもう、こういう強い大学に行こうとかじゃなくて、とりあえず体育大学に行って、その体育の心理学だったりそういうのを学べるところを、あと自分のレベルに合ったところに行こうかなっていう感じです。

だからもう最初から固有名詞出したら、筑波とか、今でいう、早稲田さんとかは全く、もう無理だっていうのを決めつけてたんで。自分の目的には心理学とか、変な話、大学に行かなくてもいいなと思ってたくらいなんで、そういう心理学とか、体育学とか、コーチ学を学べるんならって、自力で。でもさすがにそれは無理だろうって親に止められて、大学行ったっていう感じですね。

倉本:なるほど。そっか。そういうので選んだっていう感じなんですね。

新井:そうですね。

倉本:大学生活はどんなふうに過ごしてたんですか。

新井:大学生活は一応競技の方もサッカーは続けて、大学2年生のときまでは続けました。そのときは当時はもう本当に、うちの大学は結構単位だったり、出席日数とかにすごい厳しかったので、ちゃんと朝から練習して、家帰ったらもう引きこもって。

倉本:勉強してたんですね。

新井:いろいろ図書館で本借りたりとか、あとパソコンをその当時、親に勉強したいからって言って買ってもらってたので、それで、その当時ダイヤルアップの時代です。ジーッて。

倉本:(笑)。わかる。

新井:ダイヤルアップの時代で。

倉本:ジーッ、ガガガッてやつ。

新井:はい。いろんなことを調べてました。

倉本:へえーっ。じゃあもうそっか。ってことは、大学に入るときにはサッカーコーチになろうって考えてた感じなんですか。ぼんやりとは。

新井:そうですね。それは間違いなく思ってたんですけど、今みたいにJリーグのアカデミーがあって、サッカーコーチがあってとか、ライセンスがあるとかっていうのは全く全然わかんなかったけど、サッカー指指導したっていうか、コーチっていうしか頭がない中で入ってました。

倉本:なるほど。じゃあ大学、そうですね。自身のプレー、試合などサッカー経験で一番印象に残ってること、何かありますか。

新井:それは大学のときですか。

倉本:大学のときですね、じゃあ。あえて出すとしたら。

新井:大学のときのプレー。フリーキックが、僕こう見えて左利きなんですけど、フリーキックがイン巻きでクロス上げたつもりが、そのままファーにゴール入っちゃった、キーパーの。

倉本:ファーって。

新井:ファーって。それは気持ちよかったです。それを狙ってやったんで。そういうのは好きでしたね。相手の意図とは違うことをする。

倉本:へえ。面白い。そのときも中盤ですか。プレーしてたのは。

新井:サイドバックです。

浦和レッズハートフルに入る

倉本:サイドバック。なるほど。いいですね。堅実な感じで。で、そこからハートフルに入ったきっかけは何だったんですか。

新井:きっかけはその大学2年の夏のときに、今でいうとC級コーチを埼玉県で取りまして、そのときのインストラクターが浦和レッズの方で、村松さんっていう方で、その方が「今後どうするの?大学卒業してから」と話を振ってくれて、「いや、指導者やりたいんで、アルバイトとかさせてもらえたらやりたいです」って村松さんに伝えたら、「じゃあ来れば?」って言われて。

倉本:(笑)。軽い感じ。

新井:はい。で、夏休み終わって、監督さんにもう辞めますって、サッカー、クラブチーム辞めますって言って、週末、浦和の、その大学2年の10月から浦和レッズの、今でいうとジュニアユースユースのアシスタントをさせてもらったっていう感じですね。それを千葉から通ってたっていう感じです。

倉本:千葉から。

新井:勝浦からです。

倉本:えっ。それどのぐらいかかってたんですか。2時間ぐらい?

新井:3時間はかかります。3時間以上はかかります。

倉本:そっか。勝浦もっと上。

新井:もっとかかります。

倉本:電車で?

新井:いや、車で。お金なかったんで、首都高は必ず乗れない。東関道とかも乗れないんで、一番ここの船橋のところで200円だけで乗れるところがあるんですよ。花輪と、花川かな、あそこ。あそこだけは200円使って、あとはもうずっと下。ひたすら。

倉本:ええっ。3時間。

新井:そう。3時間、まあ4時間弱。通ってました。

倉本:すごい。

新井:でもさすがに、大学4年生になるともう授業ってあんまりないんで、週1回しかないんで、もう何も根拠もなく浦和に引っ越しして来たんです。

人生の道を自分で作る!

倉本:(笑)。勝手に?

新井:勝手に。

倉本:いやでももうこれはいけるでしょと。

新井:いけるでしょっていうか、まあ、いきたいなっていう感じ。逆にだから水曜日以外は全部こっちに。

倉本:で、水曜日は学校の授業を。

新井:そう。火曜日のあれ、し終わって、レッズの練習がアカデミーの終わって、車で勝浦行って、後輩のとこに「ごめん。泊まらせて」って言って泊まって、そのまま次の日、授業っていうかゼミやって、また浦和に戻ってくるっていう生活。大学4年生のときはしてました。

倉本:すごいな。へえーっ。それなんか、しんどくなかったんですか。そのとき。

新井:記憶がないですね。そのとき。

倉本:ええっ。やばくないですか。

新井:しんどいって思って…確かに眠いとか疲れたとかはありましたけど、辞めたいとか、何か不安はあるかな。何かそういうのはなかった。

倉本:へえー。すごいな。必ず何かそういうエピソード出てきますね。やりきりエピソードみたいなね。やっぱり何か、どうしてもこうしたいっていうので、それをやりきっちゃうっていうエピソード、やっぱ出てくるなって思って。面白いな。勝浦、そうだな。だって…。

新井:相当遠いよ。

倉本:相当遠い。そうそう。思い出した。海の方、海のあれですよね。海水浴とかあのへん、もっと?

新井:御宿の下ですね。御宿の下。

倉本:千葉から、そのへんからだから埼玉まで。

新井:早くて3時間。

倉本:すごい。面白すぎる。

新井:何か自分でもよくやってたなって。

倉本:よくやってた。すごい。そこからハートフル、実際にはどんな感じだったんですか。大学終わりました。終わる前ぐらいにもう…。

新井:で、やっぱり決まるのが大体今だったらもう11月末にいろいろ通知があったりとか、1月末締めの2月1日っていうのが多いじゃないですか。だからそういうサイクルも全然わかんなかったんで、ずっと4年生のときも続けて、はじめ行って、決まったのが本当に11月とかそれぐらいですね。あとは実際就職活動も何社か受けて、見事に落ちまして、一個も受からずっていう、某いろいろなスポーツクラブも受けて。

倉本:それはやっぱりサッカー系っていうか、そういう…。

新井:いや、全くサッカー系じゃなくてフィットネス系。全くサッカーと関係なく。全く受からずっていう感じですね。一応は就職活動した。

倉本:なるほど。そっか。ごめんなさい。僕も就職活動、そういう大学生のときに就職活動するっていう経験自体をしたことがないので、どういう流れになるのかちょっと全然よくわかってなくて。

新井:でも多分私の流れは多分合ってない。大学生の就職活動も…。

倉本:もう絞っちゃってたわけですね、逆に言うと。だってもうほぼ行ってたわけですよね、毎日。

新井:そう。月曜日が休みで水曜日以外なんで、週5は行って。

倉本:じゃあ卒業しました。そのあとの流れはどんな感じですか。

新井:卒業する前にもう2月1日から普通に、ずっとそこからもうハートフルの方になったので、そこから2月から3月末まではスクールがその終わるのが3月末だったので、そこまではアシスタントとして活動して、あとはアカデミーの方も引き続き見させてもらって、4月からスクールのコマを正式に持つというような感じです。

Jリーグクラブのコーチになって

倉本:実際にそういうJリーグのコーチになったときの感想ってどんな感じでした?その前からもちろんやってたとはいえ、実際にそこがプロコーチってなるわけですけど、そのときに感じたことってどんなことありました?

新井:でも逆にプロコーチになったっていう感覚はなかったです。なんか、確かに契約していただけるっていうのはすごい嬉しかったし、そこは喜びあったんですけど、本当、もうそのアルバイトしてたときから、その流れで浦和レッズでお世話になってるので、プロコーチになったっていう感覚というか、あとはお給料が入って来たっていう部分だけは感覚としてはありましたけど、プロコーチになって、そんな…。

倉本:じゃあハートフルで働いてて一番印象に残ってることは何ですか。トップ3でもいいですよ。

新井:トップ3、それはちょっとハートフル、これもハートフルか。まあトップ3のナンバー3は、まずJリーグで一番のビッグクラブに入ってしまったなっていう、その驚きはありましたね。それが一番最初だったっていう。

倉本:確かに(笑)。

印象に残るトライアングルパス

新井:本当に、これが当たり前じゃないと思わないといけないなっていうのは思ったかな。ベスト2は、あとは海外のタイ行ったりとか、上海行かせてもらったりとか、海外のサッカースクールだったりとか、イベントに行かせてもらったのは、すごい貴重なことで、あとナンバー1はすごいマニアックな話なんですけど、駒場サブグラウンドのスクール終わったあとに、某今大分トリニータのヘッドコーチと、あともう一人、去年まで某奈良クラブをやられてた監督の方でトライアングルパスをしたことですね。

倉本:(笑)。トライアングルパスか。止めて蹴るの練習して。

新井:止めて蹴るの。

倉本:最高(笑)。

新井:それはもう、確かにその浦和レッズに入ったっていうか、浦和レッズ様様なんです。浦和レッズがなかったらその出会いはなかったので、でもその浦和レッズがあって、その出会いがなかったら、今の僕はこの考えではないので、その出会いを。ただそのハートフルでって言ったら、ほかにいろいろ子どもたちと触れ合って指導力とかって、そういうのの部分もあると思うんですけど、三つだけ上げるとしたらその三つです。

倉本:面白い。サッカー観が変わったっていう、ちょっと感じだったと思うんですけど、どんなふうに変わったんですか。

新井:もう180度というか、初めて子ども、自分の子どもが歩いた瞬間みたいな感じです。

倉本:もう、わあーっみたいな。

新井:わあーって。もうそんな感じです。

倉本:へえー。それはあれですか。何かひょんな話で3人、例えば話しててみたいになったときとか?

新井:そうですね。その一番の発端の人がバルサ、当時のバルサが大好きで、その前からもうずっと大好きで、グアルディオラのことも好きで、追いかけてる方で、教授なんですけど、その方は。その方ともう一人のコーチの人の話の中で、「テレビ、サッカーの試合見てるの?」っていう話の中で、その当時本当に、その方以外は全くバルサのバの字も見てないって感じだったんで、「えっ」っていうところから始まりました。「何で見ないの?」って。そこで二人ともプロでやられてた方なんで、そのサッカー論になって、で、どんどん…っていう感じです。

倉本:ふーん。そこからバルサを見だすと。

新井:そこからのバルサ熱はもう半端なかったです。それがなかったら多分2005年の…。

倉本:そっか。バルセロナのね。

新井:バルセロナは行ってなかったと思うんで。

倉本:うわー。すごいきっかけですね。そこで来てなかったら、そこから世界のヤマちゃんでみんなで飲んでないと。

新井:もないです。そのつながりもできなかった。

倉本:そのつながりもできてない。すごいな。面白い。へえー。レッズが何年ですか。卒業して…。

新井:2004~7、4年間ですね。プロコーチとしての契約は4年間。

倉本:4年間。

 

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